「元就様」 「なんだ」 筆さえ止めず、振り向かずに元就は先を問う。 意に介さぬ一端の兵は、頭を垂れたまま求められた答を放った。 「奥州より、使者が」 「奥州だと?」 ぴたり、と元就の腕が止まった。 奥州伊達と言えば現在徳川と交戦中のはず。 その渦中に使者を寄こすとはいったい何事か。 和紙の上に隅が広がる。 小さく舌打ちしつつも、元就は背後に控える兵へと振り返った。 「人数は?」 「その、一人でございます」 「一人?」 「はっ。独眼竜殿の側室の姫君だと」 「・・・故虎の娘か」 甲斐が滅んだ後に奥州王の元へと召し上げられた娘が一人、このような乱世に他国へ訪れるとは如何様か。 さてどうしたものかと思案する。 元就はくつりと口角を持ち上げ、優雅な動作で立ち上がった。 「興味が沸いた。通せ」 兵は短く御意と告げ、早足にその場を去った。 *** 「貴様が竜の側室か」 「はい、と申します。どうぞよしなに」 「・・・顔を上げよ」 礼儀正しく三指をつき、恭しく頭を垂れている女に命じれば、さらさらと黒髪が流れ、白い肌が露になる。 旅の装束は慎ましく、町娘といわれても疑わぬだろうが隠しきれぬ気高さがそこにあった。 「さて、一体何用ぞ?」 「は、単刀直入に申し上げます。中国を納める智将と名高い毛利殿。あなた様と奥州で同盟を結んでいただきたく参上いたしました」 「同盟?我と奥州でだと?戯言は休み休みに言うがいい。この中国が豊臣と同盟を結んでいることは知らぬはずはないであろう」 覇王と名高い豊臣、そして軍師竹中と組んだ同盟は瞬く間に列島を駆けた。 北に伊達、南に毛利、そして日の本を纏め上げる織田と忍び寄る豊臣。 今更鞍替えなどできるはずもない。 元就はくつくつと喉を鳴らし、表情を変えないを見詰めた。 「重々承知しております。しかしながら、毛利と豊臣の同盟、これには毛利殿の意に反すると思い進言をさえて頂いても宜しいでしょうか?」 「・・・申してみよ」 「豊臣の狙いは天下にあらず。彼らは日の本を平定した後、この日の本の外の世界へと向かうでしょう。彼らは同盟を理由に中国の民を、兵ををいいように使いますれば、毛利殿の望む、毛利家の安泰はございませぬ」 ほぅ、と短く零せばはさらに力強く言い放った。 「元より、かの軍師が中国を自由にするなどまずありませぬ。何かと理由をつけて中国の地を侵すのは目に火を見るよりも明らかに御座います。豊臣、竹中、かの二人の貪欲さをまさか知りませぬと申しますか?」 的を射た発言に元就はなかなかに感心する。 恐らくほとんどのものが知るはずのない大阪を統べる豊臣の内部事情を知っているとは。甲斐、真田の忍でも生き残っているのだろうかと暫し考えた。 「我をうつけと思うてか?」 「まさか、滅相もございません」 「我とてやつ等の狙いを知らぬ訳ではない。して、貴様は我に奥州伊達と同盟を結べというのならば、豊臣以上に我を優遇するとでも言うのか?」 すっと瞳を細めれば、漸く喰らい突いたとばかりにが口元を緩めた。 ああその瞳、その表情。 どうやら虎の血筋は健在らしい。 「もちろんにございます。奥州伊達が天下を制した際には、中国を永久不可侵の地と致しましょう。内政にも口も手も出しませぬ。如何でございますか?」 その提案には思わず耳を疑った。 天下を制した後に中国のみを統治しないということだ。 なんと愚かで、突飛のない提案だろう。 「それは独眼竜の提案か」 「いいえ。すべて私一人の一存でございます」 「貴様にそこまでの権限があるのか」 「さぁ、どうでしょう?」 狸め、と零せば虎ですわ、とやんわり訂正を返す。 元就は一度瞼を落とす。 実に面白く、そして魅力的な提案であった。 「貴様にとって、奥州伊達とはなんぞ?」 刮目し、一言声の調子を落として問いかける。 は一呼吸置いて、柔らかく微笑んだ。 「天下を平定すべき、天下人に御座います」 |
気 付 か れ ぬ 様 こ っ そ り と