「いつき、小十郎。野菜の調子はどうだ?」 「政宗様」 小十郎の田畑は小さくもなく本格的な作りだ。 いつきの徹底的な指導を受け、さらに良質の野菜を生むだろう事に政宗は小十郎の喜びが手に取るようにわかった。 現に、泣く子も黙る小十郎の顔は、今は酷く穏やかである。 「兄ちゃん、お姫さんとの話はもういいんだか?せっかくおらが気ぃ利かせたってのに」 「ませてんじゃねーよ」 はん、と鼻を鳴らしながらも政宗はいつきの髪を乱暴に撫ぜる。 の仕草とは大違いのそれに、いつきの髪が大袈裟に跳ねた。 「何するだか!まったく兄ちゃんは相変わらず意地悪だ」 「政宗様、ご自重なされよ」 いつきといる時ばかりは政宗も年不相応のまるで幼い少年に早変わる。 苦笑を漏らず小十郎だが、君主の穏やかな表情にそれ以上何も言わずにすることにした。 「なぁ、兄ちゃん」 「なんだ?」 「おら、兄ちゃんのお嫁さんがあのお姫さんでよかったって思うだ」 「・・・どうした?」 突然真剣な表情をするいつきに、政宗はいぶかしむ。 腰ほどにしかない童女は、想像以上に苦楽を知っていると政宗は知っているからだ。 「兄ちゃんは、天下を取ったら、おらたち農民も笑って暮らせる世界をくれるんだよな」 「Of course. その為の天下取りだ」 「そうだな、でもな。偉い大名も、町の綺麗な姉ちゃんもみんな笑うんだ。 そんなの夢だった。所詮はお侍だけの世界に決まってるって」 例え奥州だからといって、奥州に住むすべての人間が政宗の思いを知っているわけではない。 政宗自信、それは当たり前だと思っているし、仕方がないと判っているので、特に何を言うわけでもなくいつきの次の言葉を待つことにする。 いつきは小さな手をきゅう、っとにぎり、政宗を見上げた。 「でもな、あのお姫さんは言ったんだ。 兄ちゃんは必ず天下を取ってくれるって、兄ちゃんは必ずおらたちの土地を豊かにしてくれるって」 「・・・が、か?」 「うん。たくさんの人が笑った兄ちゃんの夢を、あのお姫さんは認めてくれたんだ。 綺麗に、嬉しそうに笑って、兄ちゃんが必ず天下を取るって言ってくれただ」 まるで自分のことのように、嬉しそうに目元を緩めるいつき。 それを聞いた政宗だけでなく、小十郎までもが驚いたように言葉を失っていた。 「おら、嬉しいんだ。 兄ちゃんの傍に、ちゃんと兄ちゃんのことをわかってくれてる人がいるってのが。 右目の兄ちゃんだけじゃねぇ。あのお姫さんも、ちゃんと兄ちゃんのことわかってくれてるんだってのが、嬉しくて堪んねえんだ」 いつきはそう笑い、はにかみながら頬をかいた。 「・・・・っ!!!」 すると突然、政宗が勢い良くその場に蹲る。 「政宗様!?」 「兄ちゃん!?」 両手で頭を押さえるようにして俯いた政宗の表情は窺えない。 不安がる二人の声が次々と飛び交う。 「如何なされましたか政宗様!」 「腹でも痛いだか!?兄ちゃん」 「・・・・っだよ、」 「?」 「なんて言っただ?」 蚊の泣く程の声音では耳には届かない。 いつきが聞き返せば、政宗がかがんだ時と同じ勢いで立ち上がった。 「っ嬉しいんだよ!!」 万人が認めてくれる夢ではないと政宗は知っている。 反感も買うだろうし、期待で潰されそうになる程の重みのある夢だと政宗はよくわかっている。 それが天下を欲する定めだということは重々承知している。 それでも、彼女が、がたった一言認めてくれただけで。 その一言で、政宗は救われたような気持ちになった。 父を殺し、国を奪い、手篭めにして閉じ込めた。 怨まれて当然、憎まれて当然。 同じように愛してはもらえないなんて十二分にわかっていた。 それなのに、が自分の想いを肯定してくれたその一言に、赦された気になってしまったのだ。 「・・・の所に行って来る」 来た道を振り返れば、いつきと小十郎は何も言わずにそれを見送る。 早足に道を辿れば、部屋にいたは薄着のまま庭先の紅葉の木下に立っていた。 「、風邪ひくぜ」 「政宗公、片倉殿の所にいったのでは?」 「Ah・・・まぁ、ちょっと、な」 言いよどむ政宗には不思議そうに首をかしげた。 黒髪がさらさらと流れ、日の光を忘れた様な白い首筋を強調する。 「冬が来る、冬が来るとばかり思っていましたから、秋のことをすっかり忘れておりました。ほら、ご覧ください。紅葉も綺麗に染まりだしておりますの」 一つ、掌に収まった小さな紅葉は、暖かな緋色。 愛おしそうにそれを撫でるの横顔に、政宗は痛む心臓を無視することはできなかった。 (嗚呼、確かに美しい紅だ。武田と、真田の紅か) 赦されないと判っている。 愛されないと知っている。 それでも、この気持ちは殺しても死ぬことはないだろう。 「、」 腕を伸ばせば、の身体は抵抗する間も無く政宗の腕に収まる。 驚いたの腕からは紅葉がこぼれ、風に遊ばれながら地面に落ちた。 「ま、政宗公、如何なされました?」 縋るようにの首筋に顔を埋めた。 向こうの表情は窺えない。 ただ狼狽した声音は体に響くようにして伝わった。 「、好きだ」 「・・・っ」 「好きだ、。好きだ。」 何度かそう繰り返す政宗は、顔を上げることもなくを抱きしめたまま動かない。 暫く彷徨ったの両腕が、ゆっくりと上げられ政宗の背中に添えられた。 布越しに届く体温に、政宗の体がいくらか震えた。 「まったく、貴公は大きな童子のようにございますね」 とん、とん、と、心の臓を宥めるかのようにやさしく動くの掌の温度に、 政宗は片方しか残ってはいない瞼を強く落とした。 その掌から伝わるぬくもりが、優しさなのか戯れなのか、同情なのか慈愛なのか。 政宗は知らない、判らない。知る由もない。 ただ 「好きだ、」 そう言うしかなかった。 伝わらないと判っていながらも、この腕の中の女を愛おしく思う気持ちには、一片の嘘も何もないのだから。 |
故 に 抱 き し め 続 け よ う