政宗公が北条に続き軍神上杉を討った。 これで北は伊達が手中に収めたが同然。 この後伊達軍はこの日の本を南下するのだろう。 天下という夢を求めて。 上杉謙信とその剣が討たれたことはすぐに世に広まるだろう。 世情は誰もが天下を狙う世だ。 織田、豊臣に動きはなく、こちらに牽制を向けるのはどうやら徳川あたりか。 しかし・・・ 「例え戦を繰り返そうと、攻め入られれば民の命はない。彼らは力なき領民なのだから」 もうすぐ冬になる。 奥州の冬は長く冷たい。 一体を覆う雪は他軍の侵入を阻むが、同時に伊達軍をも侵す。 冷たく世界を閉ざす雪の中を進軍すれば、いくら寒さになれた伊達軍であろうと疲弊することは目に見えている。 私は与えられた部屋で日の本が描かれた地図を眺めた。 「戦国最強と謳われる本田忠勝、彼には父も煮え湯を飲まされたと。だが、本田忠勝さえ討てば三河を収めるのは容易い。 今川には天下を取る力もないし、織田と豊臣が動きを見せない限り、浅井、前田も迅速には動くまい。 されば、勢力が崩れた今、最南端で毛利と長曾我部、そして島津に争って頂かなければ」 豊臣はまずは西国の毛利を恐れるはず。 一気に潰すか、傍は吸収するか。 取る手はどちらか知れないが、一時でもその目が向こうへ向いている間に伊達はできうる限り進軍をした方が良いだろう。 「だが・・・冬が来るな」 風は冷たい。 部屋を開け放していれば時折頬を撫でる風に陽だまりの熱は然程ない。 迫り来る冬に、政宗公はどうするのだろう? 「お姫さん、そんな薄着で寒くねぇだか?」 物思いに耽っていた意志を引き上げた愛らしい声に顔を上げれば、部屋の正面の庭先に、小さな童女が立っていた。 「あなたこそ、寒くないの?」 恐らく兎だろう毛皮を巻いた童女は、前掛けの様な衣装で腕や足が多く見えている。 いくらか藁で防寒しているだろうが、やはり寒そうだ。 「おらか?おらは平気だ!これくらい最北端じゃあ全然大丈夫だべ?」 「最北端?なら、あなたは北の農村の子?」 「あぁ!おらいつきっていうだ」 にこ、と笑った童女、いつきに私も一つ笑みを返した。 「遠いところから来たのね。そうだ、茶請けがあるんだけど、一緒にどう?」 「え?い、いいだか?」 「丁度休憩しようと思ってたのよ」 そう言えばいつきは嬉しそうに縁側に腰掛けた。 少し時期は早いが十分な出来の栗金団の羊羹。 いつきは嬉しそうに目を輝かせたが、すぐに伸ばしかけた手を止めた。 「どうしたの?」 「おらだけこんないいものは食べられねぇ。村のみんなは、今あくせく働いてるだのに」 そうだ。 米はもう収穫期に入る。 今年が豊作は不作かで、伊達は動きを変えざるえない。 それを知ってか知らずか。 それにしたっていつきはまだ十幾つかだろう。 その心はそこらの農民よりも田畑に愛想注いでいるのがわかった。 「ねぇ、いつきちゃん。どうしてそんなに一生懸命になれるの?」 私の問いに、いつきは不思議そうに目を丸めた。 「どうしてそんなこと聞くだ?お姫さんは青いお侍さんのお嫁さんでねぇべか」 「お嫁さん・・・」 即ち側室。そう、私は政宗公の正室である。 けれど私たちの間には、愛だの恋だの、そんな美しいものはない。 あるのはただの一方的な情と憎しみ。 「おらたちはな、青いお侍さんに天下を取って欲しいんだ。青いお侍さんは約束してくれた。 おらたち農民だって笑って暮らせる世界をくれるって。 戦なんか終わらせて、おらたちの村を黄金の田畑にしてくれるっていっただ」 いつきは青い空を見あげた。 日本晴れの様な、青い空。 「おらは信じてる。青いお侍さんが天下を取るって。だからおらたちは、青いお侍さんのために米さ作るだ。 もうすぐ冬が来る。これからが勝負だって、おらだってわかってる」 その横顔は、とても十か幾つかの童女には見えなかった。 戦を知る目だ。 そう告げる本能に間違いはないだろう。 「おらたち農民は戦えねぇ。お侍さんたちみたいなでっかい力はねぇ。おらたちに出来るのは、田畑を耕し、米を育てること。 でもそれは、お侍さんたちの力になる。だからおらたちは、一生懸命になれるんだ」 いつきは勢いをつけて縁側を飛び降りると、くるりと回転しながらこちらを向いた。 「だからおらは、頑張れるんだ!」 晴れやかな笑みは、政宗公の天下を信じているからなのだろう。 私だって天下が欲しかった。 でも、一番欲しかったのは父が治める天下だった。 「いつきちゃん、いいことを教えてあげる」 「なんだ?」 「政宗公は天下を取るわ。必ず。そして最北端の土地を豊かな豊饒の地に変えてくださる」 でもそれは叶わなかった。 それでも私は天下を望む。 父か望んだ天下を、伊達の名で望むのだ。 「そうだな!お姫さんが言うならますます間違いねぇ!」 「ええ、間違いないわ。でもそれまでにやらなければいけないことが山済みね」 「ああ、米の収穫に脱穀に、お城まで運ぶのだって力がいるだ!」 「ならこの羊羹食べて、力を蓄えておかないと。ね?」 途端、くぅ、と小さく鳴ったいつきの腹の虫に、二人して笑った。 「へへ、情けねぇ」 「腹が減っては戦は出来ぬ、よ。いつきちゃん」 そうしていつきは切り分けた羊羹を頬張る。 嬉しそうに笑ういつきの頭を撫でれば、日の光を吸った銀色の髪が存外柔らかく指に絡んだ。 「いつき!ここにいやがったか!」 「兄ちゃん!」 「政宗公」 探したぞ、と言いながら政宗公がいつきの隣に腰を下ろす。 「てめー人に探させといていいもん食ってんじゃねぇか!」 「あああ!ひどいべ兄ちゃん!!おらの羊羹!」 「政宗公・・・子供相手に何していらっしゃるんですか」 ひょい、と軽やかに皿から奪った羊羹を租借する政宗公はいつきとさほど歳の変わらない悪戯っ子のように笑うだけで、いつきに謝る様子はなかった。 「小十郎が探してんだよ。野菜の育て方で、本職に聞いておきたい事があるってな」 「右目の兄ちゃんだかがか?ならすぐいくだよ。兄ちゃんがおらの羊羹を取ったことも言ってやる!」 「いつき!」 「右目の兄ちゃんに言いつけてやるべ!」 止め様と伸ばした政宗公腕をすり抜けて、いつきは兎のように飛び跳ねながら走り出す。 まさしく脱兎の如く。 すぐに見えなくなったいつきの姿に、政宗公は大きく息を吐いた。 「お茶をお入れましょうか?」 「ああ・・・頼む」 甘いものが得意ではない政宗公。 途端にしかめられた眉には苦笑しかもれない。 用意して置いた茶を淹れれば、政宗公の目は机上の地図に落とされていた。 「もう次の戦を考えてんのか?」 「まさか。私にはそんな恐れ多い。ただの戯れです」 「戯れね、うちの耄碌じじいたちよかまともな侵攻図が見えるぜ?」 とん、と指されたそこはやはり徳川の領地だ。 茶碗を差し出せば、政宗公は空いていた手でそれを受け取り緩やかに飲み下す。 「次は徳川を落とす」 「進軍が叶なのですか?」 「ああ、いつきの話じゃどこも豊作だ。貯えは十二分にある」 冬が来る。 そして貯えもあるとすれば、これは好機だ。 「狙うは本田忠勝の首ですか」 「ha!家康程度は敵じゃねぇからな」 不遜な竜が笑う。 虎と神を喰らった竜が、日の本を飲み込もうとしている。 「、もう暫く待ってろ。俺は必ず天下を取るぜ」 そうして政宗公は立ち上がり、それ以外言葉を残さず歩んでいく。 「お待ちしております。この天下を一望できる日を」 居住まいを正し、三つ指を突いて頭を下げた。 瞼を下ろせば容易く想像できる。 竜が喰らい尽くした日の本の世を。いつきが生み出す黄金の田畑を。 |
そ の 為 な ら ば 私 は