あの日から一週間程してか、は学校に顔を出さなくなった。 名目はインフルエンザとのことだが、そうでないことは暗黙の了解がある。 不在の間は副担任の片倉がクラスを受け持つのでなにも問題はないのだが、もう10日以上も経っていた。 慶次ははぁ、と暗澹とした溜め息をつく。さみしい。 「どうしたんだよ慶次」 「うん・・・」 「あはー、そんなにちゃん先生がいないの寂しいの?」 「うん・・・」 「重症だなぁおい」 「うん・・・」 政宗、佐助、元親に机を囲まれた慶次は顔をあげてまたはぁ、と深く溜め息をつく。 「つーかさ、結局の所したの?」 「なにを?」 「ナニってナニだろ」 「SEX」 「エッチ」 カッ!と赤くなる慶次の純情さは幸村には劣るがいい勝負だ。 やれやれと笑う政宗にそれでも慶次は俯きながらした、と呟いた。 「ええええマジかよ!」 「祝脱童貞じゃんけーちゃん!俺様お赤飯炊いちゃう!」 「ha!押し倒したのか!?やるじゃねぇか!」 「いや・・・」 「あ?」 「俺が押し倒されちゃった・・・」 ちゃん先生やっるー、と佐助は口笛を鳴らして称賛し、元親は羨ましいぜと拳を握る。 しかし慶次はぶるぶると体を戦慄かせて机を叩いた。 「でも!あんなの全然違うよ!だって、だって・・・!」 「だって?」 政宗の問いかけに声が詰まる。 「だって・・・先生・・・」 今日だけ、そう耳に忍ばされた声を思い出すとまた泣きそうになった。 ついでに芋づる式に思い出してしまったあの日の行為を腕を降って霧散させた。 「前田はいるか?」 そこに教室に入ってきたのは現担任の小十郎で、三人はすぐに中心の慶次を指差す。 「進路希望、後はお前だけだぞ?先生から新しい用紙もらっただろ」 「そうだっけ」 「流石に俺は男だからお前を婿には取れねぇぜ?」 苦笑混じりに差し出された用紙にはでかでかと“先生のお婿さん!”と書かれていた。 「先生ぇ・・・」 紙を受けとればと過ごした9ヶ月を思い出して情けない声が零れる。 慶次の声に小十郎は困ったように頭を掻いた。 「しょうがねぇだろ。先生はもういねぇんだから」 「え?」 「もう実家に荷物も送ってるしな。上から言われたんじゃ流石に俺たちも庇いきれなかったし」 「実家って・・・?」 「確か京都の方だろ?今日の3時の新幹線で出るって」 おい慶次!と元親が叫んだ頃には慶次は既に教室を飛び出し階段を飛び降りていた。 今は2時25分。駅までは徒歩30分。駅でを探せる時間は5分しかない。 慶次はそれ以外なにも考えずに走った。もうなにも、考えられなかった。 脇目もふらず、ただただ走る。人の姿やビルが矢のように過ぎ去る。車よりも早く、早く、風のように。慶次は心臓が敗れようが構わないと思わせるようなスピードで、歩道を立ち止まることなく駆け抜けた。 全力疾走のおかげで予定より早く駅に到着できたのだが。広い。 肩で荒く息を付きながら一旦息を整え、慶次は人垣を掻き分け新幹線乗り場へと向かう。 「先生!!」 改札のすぐそこで慶次は声を張り上げた。 緩くまとめられた髪に深い色のコート。すこし小ぶりのキャリーバック。彼女は改札を抜け、それからゆっくり目を見開くと逃げるように駆け足でホームに消える。 「待って!先生待ってよ!」 人にぶつかりながら改札に向かうが切符もないので通してはもらえない。 新幹線はあと数分程で出発してしまう。 「ごめん!!」 慶次は改札を乗り越え向かってくる駅員を跳び箱を飛ぶようにいなし階段を掛け上がった。 「先生!!」 ホームに人気はない。 新幹線の窓を覗きながら慶次は吠えるようにを探して呼んだ。 後ろからは駅員が来ている。 それでも慶次は諦めなかった。 「先生!!」 閉じたドアの向こうにの姿を見つける。 慶次はドアに張り付いたが、ドアは開かない。 ドアを殴り付けると、くしゃくしゃに歪んだ表情では振り返った。 「先生!なんでいっちゃうんだよ!!」 「・・・馬鹿っ、まだ学校の時間でしょうに」 ガラス越しの声はくぐもって聞き取りにくい。新幹線が発車を迫るように高らかに電子音を鳴らす。 「俺嫌だよ!先生と離れたくない!先生が好きなんだ!あんな最後なんてあんまりだよ!ねぇ先生!!」 「前田、帰りなさい」 「ちゃんと俺の言葉を聞いてよ!!俺は先生と一緒に居たいんだ!先生の傍に居たいんだ!誰がなんと言おうと俺は先生が好きなんだ!先生が好きなんだ!!」 「こら!危ないから離れなさい!!」 駅員たちに腕を捕まれ、慶次は地面に膝をつく。暴れてもがいて振り払おうとして、それでもから視線を外すことはない。 も、慶次から視線が逸らせない。 「先生が好きだ!好きなんだ!!ねぇ先生、ちゃんと俺の声を聞いてよ、子供扱いしないでよ、先生っ・・・!!今度はちゃんと俺と恋しようよ!!俺は、ずっとずっと、先生だけが好きだから!!先生だけが好きなんだから!!」 「けいじっ・・・」 しかし無情にも新幹線は走りだし、駅員たちに囲まれる慶次の姿はすぐに小さくなっていく。 は未だドアに張り付いたまま、点になっていく慶次の姿を見つめていた。 この心に満ちたのは、後悔だ。 溢れだす感情は涙になって表れる。 はその場に踞り、顔を覆って泣き喚いた。 押し込んでいた感情が、堰を切って溢れだす。 「けい・・・じっ・・・ごめっ・・・・ご、め・・・っ!!」 喉はひきつけを起こしたように暴れてまともに空気は吸えやしない。涙は止めどなく視界は働かない。頭が痛い。何度も何度も涙を拭うが、止むことなく流れる涙で手も服も顔もびしょ濡れだった。 自分はなんてひどいことをしたのだろう。 彼のひたむきな愛を、優しさを、純真を踏み躙ったのだ。 身勝手な考えで、利己的な心で、慶次を利用したのだ。 答えれば良かった。 好きだよ、と本心を告げてしまえばよかった。 保身のために慶次を傷つけだ。 自分の可愛さに慶次を捨てた。 中途半端に心を許して、線を引いて拒絶しなかったのはの罪だ。 「ごめん、ねっ・・・!!」 もう二度と会うことはない。 もう二度と戻ることはない。 この季節も、その想いも。 失われた全てはどうしてこうも眩しいのだろう。 どうして、失うまでにその光に気が付けないのだろう。 「慶次っ・・・!」 喜びの名は、もう二度とに応えることはない。 去り際は哀しく、さよならもなく、ふたりの季節は終わった。 |