「聞いた?先生の話」
「謹慎ってマジ?」
「え?ていうか先生って何したの?」
「じつは―・・・」

職員室を出た瞬間突き刺さる好奇の眼差しには奥歯を噛み締めて耐えた。
悔しさに拳を握れば、短く切りそろえた爪が皮膚に突き刺さる。
は余所余所しい生徒たちの視線を無視して、怒り任せにヒールを鳴らしてその場を去った。

***

先生は、随分と教育熱心で」
「・・・はぁ」
「熱意ある教師が学校の宝です。生徒たちからも慕われていますし、他の先生との協力も惜しみないようですし。しかし、まぁ、行きすぎた所もないとは言い切れない所もあるわけでしてねぇ」
「・・・話が見えません、校長」

回りくどい校長に対して思わず語尾が強くなる。
校長は疲れた表情で溜息をつき、それからテーブルに数枚の紙を差し出した。

「・・・?」
「先日、教育委員会にこの写真を送るという旨の手紙が届きました」
「拝見しても?」
「どうぞ」

裏返しの写真を手に取り、は思わず身を震わせた。
4枚の写真に写っていたのは慶次とだ。英語準備室で寄り添っている所。私服のふたりが並んで歩いている所。が慶次を部屋に連れ込む所。教室でが慶次をハグしている所だった。

「な、に・・・?」

言葉が、形にならない。

先生と前田君で間違いないですね」
「ええ。はいそうですけど・・・これは、盗撮でしょう」
「そんな事は問題ではありません」
「校長・・・!私と前田はいたってやましいことは何もありません!これは彼が英語のプリントを覗きこんだだけだし、これは偶然休日に会っただけ、雨に降られたのでタオルを貸すのに家にあげただけです!私は決してなにもしていません」
「後付けは何とでも言えます」
「校長!!」

信じられない!と吼え立てるに校長は重苦しい溜息をついて額の前で両手を組む。

「私もあなたのことは信じています。それでも、事を大きくしたくありません。先生だって嫌でしょう?・・・今年度で、先生には転勤と言う形をとっていただきます。いいですね」
「・・・はい・・・」

悔しさと悲しさが混じった感情を、は言い表すことが出来なかった。
ただただ泣きそうになるのを必死で耐えるしかない。
その後、謹慎にはならずに済んだのだが厳重注意を受けたなどの噂が消えることなく飛び交った。
年度が変わるまであと3カ月。針の筵として一変した職場だが、唯一の救いは教師陣にを信じてくれる人がいたということだ。
特に、前田両先生並びに上杉、武田先生は何度も校長にかけ合ってくれた程だ。
は何回も礼を言って、もう済んだことだし気にしていないと事を荒立てるのをやめた。
みんなの慰めが、嬉しい反面惨めだった。

「・・・先生」

その日、今の今まで避けてきたものが向こうからやってきた。
正直反吐が出る程面倒くさい。の今後のキャリアに泥を塗ってくれた汚点だ。

「・・・なに?前田」

それでもは、少なからず教師らしく大人の声音で慶次に応えた。
英語準備室の安っぽい椅子が回転に合わせて悲鳴を上げる。振り返れば今にも泣き出しそうな子供の顔が正面にあった。

「ごめん」

消え入る様な細い声。風にも掻き消えるような謝罪にはたまらず薄ら笑いを浮かべる。

「なにが?」
「俺の・・・せいで・・・」

確かに。すべては慶次の所為だった。
慶次は見目は愛らしく明るく陽気で誰にでも分け隔てなく優しく親切だ。勉強ができないわけでもなく運動神経は抜群。長身体躯の好青年。まるで少女漫画から抜け出してきた様な非の打ちどころのない男の子だ。
そんな慶次に恋心を抱く少女は決して少なくはないだろう。
そして、どうしても手に入れたいと願うものもいるだろう。
は自身の慢心から足元をすくわれる結果となった。
にも確かにに非はあっただろう。慶次にほんの少しでも心を許してしまったこと。教師と生徒の線引きを一時でも曖昧にしたことがないとは言い切れない。しかし自分の非を認めるよりも悔しかったのは、恋に恋するたかだが15,6の小娘によって、のキャリアに傷がつけられたことだ。
校長が、教師数名かかって無罪を主張して話が覆らなかった位だ。相当権力がある親をお持ちなのだろう。

「・・・前田のせいじゃないよ」
「でも!!」
「もし、前田の所為だったとして、君になにが出来るの?」
「・・・っ」

慶次が息を飲むのがわかった。
は酷く気が立っていた。好奇の視線と口さがない陰口、あることないこと尾鰭のついた噂話。消し飛んだ未来と信頼、打ち据えられたプライド。殆ど自棄だった。なにもかも嫌気がさして、いっそのこと終わらせてしまいたかった。
今は酷く、嗜虐的な気分だった。
(前田が悪い)そんな声がの思考の中で鈍く唸る。

「私が噂でなんて呼ばれてるか知ってる?」
「・・・」

言い淀む慶次には似たりと口角を釣り上げた。

「淫乱教師」

言葉にすれば思いがけず心の深い場所まで突き刺さる。
それと同じ痛みを感じるかのように、慶次はより一層表情を歪めた。今にも泣きそうで、泣きたいのはこっちのほうだ。

「せんせっ・・・」
「若い生徒食って若作りしてる、評価が欲しければ一発セックスしてやればいい、校長とデキてる。生徒の父親にまで手を出してる。週末に生徒家に呼んで乱交してる」
「先生はそんなことしてないだろ!?」
「でもしたことになってる!!」

ガラスが震える程の声だった。
その音量に慶次は恐れをなしたか一歩下がる。
放課後の遅い時間でよかった。そう思うと同時に酷く恨めしかった。
もっと、明るい時間帯なら自制も効いたかもしれないのに。は一握り残った冷めた思考でそんな事を考えた。

「・・・前田、私の事、まだ好き?」
「・・・好きだよ」
「君は本当にいい子だから。もっと別の子を好きになればいいよ。ちゃんと、君を好きだって言ってくれる子を好きになりなさい」
「・・・なんで?なんで先生じゃ駄目なんだい?なんで先生を好きでいちゃあいけないんだい?俺は、俺はただ・・・先生が好きなだけなのにっ」

ああ、この子は本当になんて真っ直ぐで純粋なんだろう。悲しい位美しくて、そして腹が立った。
ただの八つ当たりだ。道連れにしてやろうと思った。自分ひとり汚いままなんて嫌だった。結局、自分は最低な女だったということだ。






明るく学級崩壊