「さーて、学校祭も終わったし、みんないつまでもお祭り気分じゃ困るよー」

はーい、と響く重低音はそこぞのゾンビ集団だ。いわゆる燃え尽き症候群というやつか、困ったものだ。

「安心してー、今日は授業じゃないから終わった奴から寝るなりテスト勉強するなりしていいよ」

配布物を持って各列の机の前に立つ。
先頭で堂々と居眠りをする政宗の頭を叩きながら、はプリントを配った。

「もー2年も半分ないよ。みんな進路希望はしっかり書くこと」

全員に行きわたったことを確認してからそう言い放つ。
悩んでペンを回すもの、意外とすらすら書くものとまばらだ。
政宗なんてあっという間に第三希望まで埋めると机に突っ伏して寝入ってしまった。なんという生活態度。しかしまぁ進路希望に書かれた大学はどれも有名どころで偏差値も高い。実質非の打ちどころのない政宗なので文句もつけにくい。

「書けた人は授業の終わりに提出してね。書けてない人は来週までだから。はい、あとは実習」

黒板に書き込み、は教卓から教室を見回す。
残りの40分間は静かに流れゆくのだった。

***

行事も終わり、テストも終わり、暫くは予定もなくゆっくりできる。
この所ハードだったので碌に休めていなかったは、半日を寝て過ごし、昼過ぎに洗濯を済ませて買い物に出かけることにした。
26歳独身彼氏なし。こんな生活駄目だとはわかっていても三大欲求には逆らえないものだ。
良く寝たおかげで化粧の乗りもいい。
ナチュラルメイクでお気に入りの服を着て街へ出かける。窮屈な先生は今日はお休み。
少し遅くなったがまだランチタイムの時間だ。丁度前から気になっていたパスタ屋でランチを頼む。エビのクリームパスタにガーリックバケット。サラダとデザートが付いて780円。これは安い。味も上品でなかなかおいしい。
ふふふ、と思わずもれた笑み。丁度その時影が差す。

「相席いいですか?」
「え」

いやだ、と言う前に男がの目の前で椅子を引いた。ニコリ、子供っぽい笑みは良く知っている。どういう反応をするべきなのか、は困ってしまって固まった。

「なんで、ここにいるのかな?」
「外から先生が見えたから、来ちゃった」

えへ、ダメ?と首を傾げる姿に女子か、と思わずつっこみを入れそうになってしまうが、はその言葉を飲みこんでゆっくりと溜息をついた。

「前田君。私は今日は休みだから先生じゃないの」
「え?!じゃあ・・・その・・・って呼んでいいの?」
「鼻つねるぞ鼻」
「もうつねってまふ・・・!」

親指と人差し指でつねった鼻をはじくように離せば、赤くなった鼻頭を擦りながら慶次はへらっと笑う。

「じゃあさー今日くらい自然に慶次って呼んでよ。先生結局一回しか呼んでくんなかったじゃん」

まったくめげない慶次にはくるりとフォークでパスタを絡ませる。
困ったものだ。はパスタを見つめ、伏せ目がちに、それでも笑っていた。

「慶次」

まるで、恋人ごっこだ。

「へへ、ねぇ先生、この後どうするの?」
「んー?スーパー行くの」
「俺も一緒に行っていい?」
「遊びなよ高校生」
「今日は休みだから俺も高校生おやすみ」
「へぇ?」
「ね。せんせー。ひとくちちょうだい」

あ、と口を開く。餌を強請るひな鳥のように、もしくは小さな五歳児の子のように。は軽い気持ちでフォークを慶次の口元に運ぶ。どっちにしろ餌付けをしている気分だ。

「あーん」
「ん、おいしいね」
「そうだろうそうだろう」

はたから見れば恋人同士に見えるだろうか。
は甘酸っぱい、何とも言えないこの心地に笑うしかない。

「ねー先生。スーパー一緒に行ってもいい?」
「好きにしなさい」

そう苦笑してはもう一口慶次の口にパスタを放り込んだ。

***

スーパーで食材を買い、帰宅する際未だ慶次は帰る気配がなくふらふらとのそばを歩いている。

「喧嘩でもした?」
「ううん」
「嫌なことあった?」
「ううん」
「どうした?なにか悩みごと?」
「うん」

「先生の将来の夢って何だった?」

問われ、は己の記憶を振り返ってみる。

「将来の夢かー。パティシエになりたかった」
「え!?」
「でもやっぱり小説家になりたくて」
「はー・・・」
「教師になってた」

ぽかんと口を開ける慶次には緩く微笑む。

「なにも難しく考えることはないよ。うちは実家が和菓子屋だったからパティシエかそういう製菓に携わる仕事に就こうと思った。でも親は無理するなって言って、本を読むのが好きだったから小説家になろうと思った。学校の司書の先生と仲良くなって、あなたは人にものを教えるのが上手いって誉められたから教師になろうと思った。簡単な理由でもいいんだよ。些細なきっかけでも構わない。まだ10代じゃないか。焦る必要はないよ」

あ、今の先生っぽい。が茶化してそう言うと、慶次もつられて笑った。
ああ、この子はやっぱり笑ってる方がいい、はそんな風に感じながら笑い返す。

「俺、なんだが元気になってきたよ!ありがとう先生!」
「それはよかった・・・あ」

ぽつん、ぽつんと小振りの雨が数的降る。
しかしどんよりとした雨雲。これは本降りになる、そう思う間もなく雨は激しさを増し強く降りだしてしまった。

「走れ!」

は慶次に声をかけマンションまでまっすぐ駆ける。お気に入りの靴も服もぐしゃぐしゃだ。

「はー降られた。前田、タオルかすから上がって行きなさい」
「けいじ」
「はいはい。慶次。君に風邪をひかれると前田両先生に申し訳立たないんだからね」

エレベーターで5階まで上がる際、雨水が髪を伝って冷たい。
熱いシャワーを浴びたいと考えながらドアノブを回すと、慶次は困ったように眉を下げていた。

「いいの?」
「なにが?」
「あのね、俺も男だよ?」

慶次の言葉の意味はわからないはずもない。
は曖昧に笑いながら「襲うの?」と慶次に向かって首をかしげた。

「そ、そんなことしないよ!ただちょっとはケーカイ・・・」
「はいはい心配してくれてありがとうね。でもわたしみたいなおばちゃんはそういうの大丈夫だから安心しなさい。上がって二つ目の右のドアお風呂だから、タオル準備する私服乾燥機かけてあげるから。ほら早く」

濡れた足で上がるのを躊躇しているのか、はそんなこと気にも留めず慶次を風呂場へ押し込みタオルを被りながら家に上がった。
生憎貸せる服はジャージしかない。慶次が着たらぱつんぱつんだろうと思ったがないよりましだろう。はタオルとジャージを脱衣所に置いて、自分は濡れた服を脱いで手早く着替えてドライヤーで髪を乾かすことにした。

湯上りの慶次に恥ずかしそうにジャージを着ている。思った通りぱつんぱつんで笑ってやると少し不機嫌そうにそっぽを向かれた。
は淹れたてのコーヒーに口をつけて気のない謝罪をして慶次にもコーヒーを渡した。

「ミルクと砂糖は?」
「平気」

そう言った癖に眉間にしわが寄っている。
大人ぶってかわいいじゃないか。
は無言で慶次のマグカップにミルクと砂糖を注いだ。

「・・・将来の夢なんて、なにも考えてなかったんだ。今が楽しかったら、それでいいかなって。そう思ってたから」
「うん」
「でも・・・先生に相談できよかった」
「おやおや、教師冥利に尽きるね」
先生、ありがとう」

まったく、くすぐったい。
教師も存外悪くないものだ。
は慶次の頭を軽く撫でてやり、気にするな、と大人ぶって笑ってやった。

***

「先生!進路希望書いたよ!」
「よーし、お前が最後だぞー慶次ー!」

褒めてと尻尾を振る大型犬をハグするように、はあの日よりも乱暴に慶次の髪をかき乱す。
受け取った進路希望用紙には欄を無視して大きな字でこう書かれていた。

先生のお婿さん!

「私のいい話返せ馬鹿ー!!」
「なんで!?簡単な理由でもいいって言ったじゃん!」

ああ。馬鹿なほど可愛いとは言うが、教師の身は骨が折れるとは実感した。

空はゆっくりと白み、もうすぐ季節は冬になる。






制服に包まれた君の素顔