「わたしは鶴姫!今日こそどーんと鬼退治です!!」

声高らかに弓を弾く乙女。
先見の瞳を持つ巫。伊予河野の隠し巫女。
従えたるは神の力お持つ者たちだ。
鶴姫はきり、と弦を絞り標準を定めた。

「さぁ、行きますよ!!」

船頭から飛び降り婆娑羅の力で地面を凍らせる。
読んで字の如く滑るように進軍する鶴姫の目前に、幾千もの矢が雪崩のように突き立てられた。
鶴姫ははっとその場から飛び下がり、矢が降ってきた方を見上げる。

お姉さま・・・!!」
「こんにちは、巫女さん」

にこりと笑う姫は風に遊ばれ長い髪を流す。
弓にはもう次の矢が番えられ、狙いは鶴姫に定められていた。

「どうして!!」
「私はもうお前の姉じゃないの、鶴。私は姫。鬼の妻になったのよ。この地を侵すというならば、私はおまえを倒します。鬼の、長曾我部元親の妻として」

きりりと弓を引き絞り、さらに矢を打ち放って鶴姫の後退を余儀なくさせた。
放たれた矢は風の鋭さを纏って地面に突き刺さる。
お姉さま!と鶴姫の悲鳴が虚しく響く中、姫は穏やかに微笑んで見せた。

「鶴、ここにお前の姉はいないのよ。いいえ、初めから姉などいなかったの。帰りなさい、怪我をしないうちに帰りなさい」
「嫌です!お姉さまは鶴のお姉さまでしょう!?一緒におうちに帰りましょう!」

腕を伸ばす、小さな少女。
一体どこに帰ろうというのだろう。
姫の居場所は、後にも先にもここしかない。
この鬼の住処こそが、最も心安らぐ場所なのだ。

「おいおい、鬼の宝を盗もうたぁ、太ぇ根性じゃねえか鶴の字!」
「む!なんて悪い口!お姉さまを奪ったのはそっちじゃないですか!!」
「元親殿」

悠然と現れた元親に鶴姫は文句を返すが、そんなものはどこ吹く風と元親はからから笑う。
そうして隣に立つ姫の腰を抱きながら、鶴姫に向かって碇槍を突き付けた。

「こいつは俺のもんだ。誰にだって渡しゃしねえ。奪おうってんなら、それ相応の覚悟があるんだろうな?」
「お姉さまはものじゃっ」

鶴姫の反論が言い終わる前に、姫は元親の頬に手を添えて触れるだけの口付けをする。
それはあまりに唐突で、そしてどこまでも神秘的だった。
時間が止まってしまいそうなほど美しい。鶴姫は息を飲んだ。
姫はゆっくりと鶴姫を見る。
視線が交わり、そして解けた。
そこにいたのは姉ではなかった。たしかに一人の女だった。
鶴姫は、あんな姫の表情を、このかた一度も見たことがなかった。

「とっとと帰んな、お譲ちゃん」

耳まで赤くした鶴姫を揶揄し、元親がくっくと喉を鳴らしてきつく姫を抱きしめる。
立ちすくむ鶴姫に、姫は蕩けるような笑みを向けた。

「鶴、私、幸せよ。お前の姉であったこと。でもね、今はもっと幸せなの。元親殿の、この人の妻になれたこと。この人と共に生きられること。私ちっとも不幸じゃないわ。堪らなく幸せなの。もうなにも辛くないの。だから私、もう父上もお前もいなくても平気よ。河野の名がなくても生きられるわ。鶴、もう私の帰る場所はここなの。お前と一緒にはいけないわ」
「おねえ・・・さま・・・」
「鶴・・・いいえ。伊予河野の隠し巫女。先見の瞳を持つ巫、預言者よ。帰りなさい。ここは鬼の住まう地です。お前の居場所は、ここにはないのよ」

限界までひかれた弓は、寸分構わず巫女の心臓を狙っていた。
ああ、まさに鬼だ。

「おねえさま・・・」
「私、幸せよ。後悔なんてないもの」

美しく笑う人は、姉でも女でも人間でもない。
そこにいるのは紛れもなく、鬼だった。
愛に満ちた一人の鬼女と、それを愛した鬼の姿。

それは、なんて満ち足りた、幸福な姿。

「さようなら」

愛しい人よ。さようなら。そこに愛があるのなら、永久に、永久に、幸せを。