嫁に欲しいと手紙を出した。
帰ってきた返事はそんな名の娘は伊予河野にはいないとのこと。
姫はそれを見てしまった。
良かれと思ってしたことが、ものの見事に裏目に出た。
子を捨てる親の気持ちなどわかりはしないし、親に捨てられた子供の気持ちもわかるはずがない。
ただ、縋るように握られた手を元親は決して離さなかった。
すんすんと、姫の嗚咽は漸く弱まる。
その丸い涙の行方を追いながら、元親は「帰ろうぜ」と控えめな声音で姫に声をかけた。

「どこに?」
「俺の城だ。あそこをあんたの帰る場所にしちゃくれないか?帰る場所がないなんて寂しすぎるだろ。なぁ、俺はお前の人生を壊しちまった。なら、せめてもの詫びっつうか。俺はの居場所でいたい。それじゃあ駄目か?お前の帰る場所が、俺の城じゃあ駄目か?」

暫く死んだように濁っていた姫の瞳がひとつ瞬く。
涙が溢れたあと、姫はゆっくり首を横に降った。

「駄目じゃ、ない」
「・・・そうか。そうか、じゃあ。帰るか」
「・・・うん」

ふたりは手を繋いで来た道を戻る。
会話はない。
ただ波の音が満ちては引いてを繰り返す。
目を閉じれば、姫の吐息と体温ばかり感じ取る。
なんて哀しい体温だろう。
元親は強く強く姫の手を握る。
熱が伝わって、少しでも姫が救われればいいのにと元親は願った。

疲れきった姫を寝所に横たえる。
簾を下ろし、人払いを敷いて風の音だけが二人を包んでいた。
姫は人形のように動かない。
ただ静かに髪を散らして横たわる。
呼吸だけを繰り返し、言葉はない。
髪の隙間から覗く姫の首筋には以前つけた印はもうなく、今はただ雪原のように白い肌があるだけだ。
いつか心が手に入ったら。姫が元親に喰われてもいいと思ったら。
そう言ったあの夜の約束を、姫は覚えてはいない。
元親が勝手に一人で決めたことだった。一人で誓った決まり事だった。
だが今、少しそれを後悔している。
強く強く姫を抱きしめることができたなら、元親は、少しくらい姫の心を満たせてやれる気がした。
ほんの少しでも、満たしてやりたかった。

、好きだ」

ゆっくり見開かれる姫の瞳には泣き出しそうな元親が映っていた。
情けない顔だった。
それでも元親はもう一度喉を震わせる。

「好きだ」

精一杯の言葉だった。
飾り立てることもできない、安っぽく、ありきたりな、まさに月並みの言葉だ。
器から水が溢れた様に、零れ出た言葉にあらん限りの思いを込めた。
情けなく青臭い、それでも、想いだけはすべて込めた言葉。
姫は小さく肩を震わせ、元親の方へと腕を伸ばす。
元親がしかとその手を握れば、姫は安心したように笑った。

「うれしい」

小さな子供のようだった。汚れない、無垢で、幼い、穢し難い、光だ。星の様に眩しい。夜を照らす、針路を指す、命だ。
元親は力の限り姫をかき抱いた。細い体は折れてしまいそうだったが、姫は悲鳴一つ洩らさなかった。

「元親殿、私が、もし本当に私が必要なら、好きなら、手放さないというのなら」
「ああ」
「抱いてください」

思わず少し姫から身を引き表情を窺う。
弱い頬笑みに潜む感情を、元親は読み取れない。
姫はしな垂れる様に元親の胸に顔を添えた。

「抱いて、ください。なにもかも、忘れたい」
「・・・いいのか?」

少し跳ねた心音は姫の耳にしっかりと届いてしまっただろ。
これではまるで元親のほうが経験がないみたいではないか。
姫はくすりと喉を鳴らす。

「おねがい」

まるで場数を踏んだ女の様だ。
が、所詮は強がりでしかない。それが見抜けないほど元親は馬鹿ではないし子供でもない。
しかし、強がりをさせてしまったと思うとまた少し情けなかった。
元親はゆっくりと姫を再び横たえ、覆いかぶさるように影を落とす。
栗色の髪を撫で、まるい頬に触れながら、親指で唇を撫でた。

「後悔はないのか」
「ええ」
「途中で、止められねぇぜ?」
「わかってる」

「なぁに?」

いつか心が手に入ったら。姫が元親に喰われてもいいと思ったら。
元親はゆっくりと瞑目し、それからこつり自身の額を姫の額にぶつけた。

「ずっとここにいろ」
「元親殿・・・」

言葉尻が涙に濡れる。
優しい、鬼の言葉はいつまでも優しい。
最初からそうだった。どんな時も、この人は優しかった。
こわいものなど何もない。
なにも恐れることはない。
姫は元親の首筋に腕を絡めた。発熱する体温は、どちらのものかなどわかったものではない。

「好き」

いつか心が手に入ったら。姫が元親に喰われてもいいと思ったら。
閉じた時と同じ速さで目を見開く。
朱色に頬を染める姫。
元親はそっと姫の唇に口付けた。
姫の心は少し涙で塩辛い、それから、胸が悪くなりそうなほど甘い。
肉を食むように下唇に吸い付く。柔らかい、瑞々しい果実の様な感触。

「ん、」

甘く、漏れた声は元親の心を震わせる。
姫の髪に指を絡ませながら、元親は更に深い口付けを落とした。
肉を、熱を、呼吸さえも喰らいつくすように、元親は深く深く、姫の心を飲み込んでいった。