「おなかいっぱぁい」

とろりとまどろむ姫の瞳は涙に濡れて、赤い果実のように染まった頬と相まって扇情的。
くたりと力なく布団に横たわる姫の髪が散らばって、山河のような画になった。
それ程飲んだわけではないが、随分酒には弱いらしい。
赤くなった頬を指の背で撫でると、発火する体温が伝わる。
姫はくすくすと童女の様に笑い、またきまぐれな猫のように擦り寄ってきた。
それが見ていて愛らしい。
思わず緩む頬をそのままにしておけば、姫が眠たげな目を瞬かせて元親を見上げる。
長い睫毛が擦れる音が聞こえそうだった。

「わたしをたべるのね、」
「は?」

上手く回らない舌が言葉を落とせば甘い酒の臭いがする。
お互い全身に酒の香りを纏いながら、抜けきらない酒にまたくらりと酔う。

「ちょ、そかべどのはおにでしょう?だいじょうぶれす。あんなにおいしいりょうりやさけをちそうになったんです・・・くいはありませんから」
「馳走ってただの地酒に瀬戸のカジキマグロだぜ?」
「うちは・・・かみつかえだから、せっしょうはだめなんです。おさけも、おみきをなめるくらい・・・しあわせ、まんぷく、しぬのもこわくありません」

ひっく、と酔っ払い特有のしゃっくりを溢す姫はゆっくり目を閉じる。
瞼の曲線。影を落とす睫毛。徐々に落ちてゆく熱。

「わたしは、とくもたかくない、ただのみこですけど、はらのたしくらいにはなるれしょう。のこさずたべてくらさいれ」

穏やかな表情に元親は苦笑するしかない。
この巫女は鬼が人の肉を食べると思っているらしかった。
まるでお伽噺のようなそれ。喰らった肉の徳が高かろうとどうせ寿命も力も変わりはしないだろう。
それに元親は陸の獣より海の魚の方が好きだった。

「あのなぁ、俺はあんたを喰っちまうつもりで浚ってきた訳じゃあねぇんだぜ?」

言えば姫はのろのろと再度瞼を開く。
夜に滲む瞳は群雲かかる月のような鈍い光を讃えていた。
鋭利な刃物なわけではない。ただ無感動に無感情な光だ。

「じゃあ、とぎでもしましょうか」
「おいおい」

力が入らない体をよっこいしょ、と掛け声と共に持ち上げる。
胡座をかいた元親の方へと這いずると、姫は躊躇なく元親の下帯に手をかけた。
元親は姫の細い指の動きを観察したが、泥酔した少女の力では易々とはいかない。

「せんけんのめをもたないわらしなんていみないんれすよ。だいじょうぶれす。はじめれれすけどやりかたくらいしってますから」
「おい
「たべてくらさらないならこれくらいしかわたしれきないれす」

ぐらぐらと船を漕ぐ頭と回らない舌。目は据わっている。
姫の酷く泥酔した様子に元親はどうしたものかと頭を掻いた。

「俺は、そんなんじゃなくて、あんたが気に入ったんだよ。そんなことしなくていいっつんだろ?」
「れも・・・」
「でももだってもねぇんだよ。今日はもう寝ちまえ、この酔っ払い」

とんと軽く肩に触れれば姫は簡単に布団に沈む。
起き上がろうと腕を伸ばす姫に布団を掛ければその重みと暖かさに抵抗を止めた。

「れも、ちょそかべどの、さらってきたわかいむすめにてをらさらいらんてこしぬけとおもわれますよ?」

存外下世話な巫女の物言いに元親はくつりくつりと肩を揺らす。
やはり思った通り、面白い。

「それもそうだなぁ」

しかし酔どれに手を出すほど飢えているわけでも溜まっているわけでもない。
暫し思案を巡らせた元親は、布団に寝転ぶ姫の真上に覆い被さる。

「ちょそかべ、どの?」

不思議そうに瞬く瞳。それを縁取る長い睫毛。整った目鼻立ちに甘い香りのする柔らかい髪。
元親は吸い寄せられるように姫の頼りない喉を舌で舐めあげた。

「うっ、」

ひく、と一瞬ひきつる喉の動きに嗜虐的な心地に火がつく。
月の光を反射させる眩しいほど白い肌に牙を立て、欲望に従い唇を寄せればあっと言う間に紅色の花が咲いた。
微かな痛みに眉をしかめた姫に微笑みかけ、元親は武器を握るため皮膚が厚くなった指先で花を咲かせた場所を軟く撫でた。

「いつか、あんたの心が俺のもんになったら。その時あんたを喰うことにしよう」
「?」
「これは印だ。俺のもんだって言う証だ」
「あか、し・・・」
「そうだ。あんたが嫌がることはしねぇ。いつかあんたが、本当に俺に喰われても良いって思うまで、この印を残しておくことにするぜ」

着物を着ても隠れない首筋に残した所有印。
紅く咲いた花に元親は笑う。
満ち足りた心に甘い水が溢れるような、堪らない幸福感。
手に入れた宝を撫でて、元親はいつかくる姫の心を手に入れる日を思い描く。
それはとても、優しくて、甘い夢だ。

「ばかね、」

眠たげな姫の緩い笑み。

「そんなひはぜったいこないのに、ぜったい・・・ぜったい・・・」

そうして重たい瞼が閉じられ、すぅすぅと穏やかな寝息が繰り返される。
眠りに落ちた姫の髪を一房すくい上げた元親は、その髪に唇を寄せながら薄く微笑んだ。

「必ず手に入れるさ。俺はあんたが気に入っちまったからなぁ」

相手は伊予の国の嫡子。
下手を打てば戦争が起きる。
それでもと、鬼はただただ静かに眠る巫女を見下ろしていた。