「三成に会えないだろうか?」

そう快活に笑って現れたのは、自分と同じか少し上くらいの歳の青年だった。
父の名を親しげに呼ぶ男を訝しげに睨めば、男は「三成によく似ているなぁ」と困ったように笑うので、なんだか居心地が悪くなる。

「父は、」
「上げて構わない。今日は調子がいい」

家の奥から父のはっきりとした声が響いた。
父の部屋から玄関は見えるはずがないのだが、父はまるですべてを見通しているかのように言う。
「家康だろう」と。

男は悲しそうに、でも同時に嬉しそうに相好を崩すと「いいか?」と私に問いかけた。
父が許可した以上私が拒む理由はない。
男を家に招き入れると、男は案外丁寧に頭を下げ私の後に続いた。
父の部屋の扉にノックする。やはり、扉は空いていないし部屋の中で父はベッドの上で本を読んでいた。
父は中流の家の出だったそうだが実に聡明で見目麗しく、文武に長けたその才能から士官学校に入り軍では名を馳せた人だった。
しかし、病に倒れ、それ以降は私財を投げ売って戦争孤児たちを育てている奇特な人だ。
父を戦犯、偽善者と罵るものは少なくない。世にとって父の真っ直ぐすぎる正義はあまりに眩しく、正しすぎるからだ。
怪しげな男と父を二人きりにするのは危険であるし、なにより父に何かあったりすればと思うと私の不安は頂点に達していたが、男を見た瞬間に父は泣き出しそうになりながら私に退出を求めた。
命令でもお願いでもない、懇願だった。
十数年父と暮らして私はそんな表情を見たのは初めてだった。私はいたたまれず、逃げるように部屋を出る。
それでも廊下の壁にぴったりと身を寄せれば、部屋の中の会話は途切れがちだが聞くことができた。

「・・・久しぶりだな、三成」
「そうだな。貴様は・・・私を覚えていたか」
「ああ。何一つとして忘れてないさ。ほかには、誰かに会えたか?刑部は?」
「いや、会えてはいない。しかしよく私だとわかったな。同名の他人かもしれないのにわざわざ会いに来たのか」
「間違うはずないさ。お前は知らないかもしれないが、新聞や雑誌では良く麗しの貴公子だなんてお前の写真が載っていたものだ」
「ふん、知らん」

そこで一度会話は途切れた。
普段、どちらかといえば寡黙な父がこんなにも饒舌に、どこか弾んだように会話をしているのを聞くのは初めてかもしれない。
家康と呼ばれた男は父と一体どういう関係なのだろう。歳の頃は私の方が近いはずなのに、男は長年の友人に接するように父に接している。

「なぁ、三成」
「なんだ」
「・・・お前は、わしを恨んでいるか?」

男の声は弱々しく、うまく聞き取れない。
私の脳裏には、鋭い眼で、でもまっすぐに男を見つめる父の姿が思い浮かんでいた。

「くだらん。何年前のことだ。まだ私が貴様を恨んでいるなら、この部屋に入った瞬間斬滅している」

父の物騒な物言いに、男が笑う気配がする。

「そうか。そうだな。お前はそういうやつだ。本当に、変わらないな。三成」
「貴様こそ、その腹が立つ顔も性根も変わっていない」

二人の年の差はゆうに三回りはあるだろう。それなのに、ふたりはそんな年の差も感じさせない風に言葉を交わす。
不思議だった。同時に、羨ましかった。

「あの子は、三成の子か?」

不意に挙げられた自分の話に心臓が大きく跳ねる。盗み聞きが見つかっているわっけではないだろうが、心臓の音が聞こえてはいないだろうかと思わず様子を伺う。

「ああ、養子だがな」
「彼女は?いいのか?」
「・・・このままでいい。私は、以前あれを救ってやれなかった」
「そうか・・・悪い」
「構わん」

彼女、とは誰のことなのか。心臓が血を送り出すたびにばくばくと煩い。まるで心臓が二つに分かれ、それが耳の中に滑り込んだように聞こえる。部屋の声が聞こえない。

「あの子は彼女によく似ているが、仕草や目つきはお前そっくりだなぁ」
「私の、自慢の子だ。貴様の方はどうなんだ」
「まだ未成年だ。この歳で子供がいたら親が泣くだろう」

男の談笑はもう耳に入らなかった。
自慢の子。
普段、そんなこと一言も言わない父の言葉に、心臓はますます暴れだし、血が沸騰するように熱くなった。
これ以上聞いていれば全身茹だってしまうだろう。私はもうそれ以上その場にいられず、足音を消して父の部屋の前から逃げ出した。
自慢の子。
そればかりが頭の中で繰り返された。

父が退役して、養った孤児の数は両手を超える。
その中で養子になったのは私だけで、ほかの子供たちは近くの街の工場に住み込みで働きに出したり、軍関係者の養子に貰われていった。
父のもとに残るのはいつも私だけで、嬉しかった。
父は私を手放しに褒めたりしないし、軍の勉強もさせなかった。ただ傍に置いて、家事を手伝わせるくらいで、私は父にとってなんなのだろうと長い間自問したこともあったが、今日それが全てどうでも良くなった。
自慢の子。
私は父の、自慢の子なのだ。

「じゃあな、三成」

二階から男の声がして、私ははっとリビングから飛び出る。
男は私を見るとひとつ微笑み、会釈をして玄関に向かった。

「あ、あの」
「ん?なんだ?」

男は人好きしそうな明るい笑みで私の問を待つ。

「彼女とは、誰ですか」

その一言は、二人の会話を盗み聞きしていたことを指していたが、そんなことはどうでもいいだろう。
父の傍に女性の影があったことはない。
嘘を嫌い、隠し事などしない父だ。
私が父の傍にいる間、父の隣に立つ女性はいなかった。
彼女とは誰なのか。私の知らない、父の過去をこの男は知っているのだろう。
男は、優しく笑ったままそうか、とつぶやく。

「三成からは、何も聞いていないのか?」
「はい」
「そうか・・・わしが言ったと言わない約束してくれるか?三成は怒ると怖いからなぁ」
「約束します」

約束は破ってはならない。人を、信頼を裏切ってはならない。
それは父の教えだ。
強く肯けば、家康は困ったように眉毛を下げ、それから鏡を見るといい、と言った。

「彼女とは、三成が愛した女性だ。ずっと、昔から。お前が生まれる前から」
「父が、愛した女性・・・」
「お前はその人にそっくりだ」
「その人の名前は?」
「・・・だ」


それは、私の名だった。
顔も忘れてしまった、両親が付けた私の名前。
そして、父が愛した女性の名前。
私は父の自慢の子。
私は、その人以上に父の愛を得ることは、一生ないのだろう。






世もげに散る乙女