三度この世に生まれ落ちて、未だ「石田三成」の魂は続いている。 幕末、徳川政権が滅び、天下は天皇に返上された。 怒涛の時代はやがて戦火に包まれ、再び争いの時代行き着いた。 怒りも憎しみも沸かず、あるのはもはや呆ればかりである。 家康もともに罰を受ければよかったのに。 三成のように、こうして何度も生を繰り返し、その度天下を平らにしていれば、こんなことにはならなかっただろう。 家康が命をかけて掴んだ大平の世は二百年余りで幕を閉じた。 そうしてまた大なり小なりの戦が繰り返され、戦死者と孤児たちが溢れかえる。 三成は今世は孤児ではなかったが、戦の火種によって家族とは生き別れた。 多少辛いと感じるところもあるし、相変わらず三成は孤独であったが「石田三成の記憶」は優しく三成に寄り添っていた。 孤独がすっかり罰の役目を疎かにし始めた頃、三成が暮らしていたあたりに外界の敵が攻め込んできた。 昔見た元親のからくりなど目ではない。 黒光りする巨躯の艦隊と、隙間なく備え付けられた大砲。銃や刀で向かって行くものは馬鹿か自棄糞か。 思えば、それは過去の自分も同じだったのだろう。 無駄死にさせた兵の数は決して少なくなかっただろう。死地までついてきた兵たちに感謝してもしきれない。 今なら心から彼らに侘びを言えるはずだ。彼らにも、愛した女や、家族がいただろう。 三度この世に生まれ落ちて、三成はまだ以外の女を知らない。 家康に対する憎しみは、案外容易く解けなものだがに対する情念は未だ少しも変わることなく、むしろさらに募ってどうしようもなくなっていた。 それは後悔なのか、自責の念か。 どちらでもない。ただ、愛おしいのだ。彼女に会いたい。 あの時叶えられなかった願いを叶えてやりたい。それだけだ。 だから、どんな形であれに再び出会えることは三成にとってこの上ないことのはずだった。 「・・・」 山奥のうち捨てられた古い小屋の中に、はいた。 人の手を離れて相当たっているのだろう。土壁には蔦が多い、屋根には苔が青々と茂っている。ところどころ日差しが入ってくるからには、風は防げても雨は防げまい。中はかびと埃の匂いが充満していて、酷い匂いだった。そこに、はいた。 怯えた丸い瞳が三成を見つめ返す。 三成は、その目にがなんの罰も受けていないことを感じ取った。 震える声で、だれ、と三成に問い返す。あの戦場で指揮を飛ばしていた声と同じでありながら、それはあまりに弱く細い。 中に一歩踏み入れば、は持っていたものを急いで後ろ手で隠した。刀ではなさそうだ。 小屋の中には小さな台が備えられており、燭台と小ぶりの杯がのっている。一見神棚の類にも見えなくないが、人型を模した木彫りの像に、ここが教会を真似ていることはすぐに窺い知れた。 「隠れキリシタンか」 「ひっ」 独白にの悲鳴が交じる。 これが罰か。 思いの外、三成は自分が泣きそうになっていることに言葉を噤んだ。無意識にたちにも記憶があるものだと信じていたのだ。勝手に落ち込むのも身勝手ではあるが、落胆はどうしようもない。三百年ぶりだったのだから。 三成は極力を怯えさせないように、それ以上小屋には踏み入らないように留まる。 「それが、お前の神か?」 海の向こうから来た教えを、秀吉は快く思っていなかった。だからも三成もその教えを忌み嫌い、秀吉の命のもとに排除してきた。 ふたりの神は、秀吉だった。 「・・・いいえ。イエスは神の子であり遣いです。神は天上の御座におられ、そして私たちを天の国に導いて下さるんです」 今は、この教えが世に適しているのだろう。 すべての罪を神の子が背負い死に、そして神の羊たちは救われる。 この戦火に燃える世で、抗う力もない弱者たちは神を信じて救いを待つのだ。神は全てを救い、罪を許す。 反吐が出る。 を救うのは自分のはずだ。 三成は数刻前の決意を既に忘れ、の前へと詰め寄った。捻り上げるように右手を掴めば、二本の枝を紐で結び合わせただけの粗末な十字架が零れ落ちる。 「貴様の神は何も救わない。ここにいても死ぬだけだっ!」 戦線が迫ってきている。明朝にはここも戦地になるだろう。今逃げなければ間に合わない。そうにがなり立てる三成には弱々しく笑った。 「いいんです。ここで、いいんです。主の御手の中で最期を迎えれば、きっと、天の国に行けるから・・・。そしたら、幸せになれるから・・・」 痩せ細り、栄養が足りず痩けた頬。目の下は落ち窪み、唇は乾いて切れていた。肌も髪も潤いはなく、乾ききった和紙のように痛んでいる。 水も食料もなく、は何日ここにいたのだろう。 添え木と包帯が巻かれた足は、恐らく折れている。動くことも出来ず、ここに一人いたのだろうか。 親は、家族は、知人は、他のキリシタンは。 聞きたいことは山ほどあった。だが、聞くまでもない。 ただひとつ分かることが、なにもかもがを救わなかったことだ。 三成は顔色の悪いの前に腰を下ろし「神の教えを説いてみろ」と唸るようにそう言った。 「えっと、入信ですか?でも私、司祭様じゃないんで・・・」 「どうでもいい。私は貴様の信じるものが知りたいだけだ」 「・・・では」 はゆっくりと教義の内容を話し始める。天地の創造から始まるそれは、三成もよく知っている程度のありふれたものだった。 三成の神は今も昔も秀吉ただひとりだ。だから彼がキリシタンになることは未来永劫ないだろう。 だがもし、秀吉もまたのように同じ魂を持っていない、姿形だけのものならば、それははたして三成の神なのだろうか。三成を知らず、救うことのない秀吉は、三成の神ではなくなってしまうだろう。 ならば、同じ姿形でありながら、記憶を持たないもまた、三成のではなくなってしまうのか。 あの約束はもう二度と叶えられることはなく、三成は永遠にあの時のの涙を止めてやれないのか。 「あ、あの・・・」 か細いの声にハッと意識を戻せば、困惑の面持ちでが三成を見上げていた。 「苦しいんですか?なにか、悲しいことがあったんですか?」 そう問いかけるに、三成はとうとう自分が泣き出してしまったことを自覚した。 ただ眼球から水分が溢れ出るだけ。嗚咽も痛哭もない。まるで無感情な泣き方だが、心臓はどうしようもなく血を流し、激痛にのたうちまわる。 「お前を・・・救いたかった」 三百年余り、そればかりを考えて生きてきた。 その為に、未だ「石田三成」は死んではいないのだと思っていなのに。 神も仏もこの世にはいない。彼らは天の国だか極楽だかに住まい、虫のように這って生きる無力な自分たちを見下ろし哂っているのだ。 世は無常。この世は生き地獄に違いない。 それなのに、 「そう思ってもらえるだけで、十分です」 は笑った。 殆ど虫の息で、微笑むことさえ辛いだろうに、苦しいだろうに。 それだけで十分だなんて、月並みで、在り来りな、それでも、真実そう感じたという表情では笑った。 泥の世に咲く一輪の蓮のように。 |