月光と星明かり照らす庭に、は立っていた。 はしたなくも夜着のまま庭に飛び出していたは、裸足のままふわふわと夢遊病者のように庭を歩く。 焦点は遠くにと定まっていて、家康と元就に気付いた様子はない。 表情は甘い微笑みが浮かべられており、は時折くすくすとまるで少女の様に肩を揺らして笑っていた。 「っ、、」 ひくつく喉が音を鳴らす。 家康は震える声でを呼んだが、その声が小さすぎたのか、遠すぎたのか。はなんの反応も返さず相変わらず庭をひとり散策していた。 「、やめろ、やめろ・・・」 夜に浮かぶ白い夜着でさえ、一瞬目を離せば掻き消えてしまいそうに頼りない。 家康は震える足を叱咤して、それでも覚束無い足取りでの方へと歩み寄った。 「幸村、見て。月があんなに大きいの」 空を指差しては誰もいない方へと静かに声をかける。 はだけた腕はもう骨と皮で、それもまた容易く見失ってしまいそうだ。 「綺麗ね。凄く輝いてて、幸村の顔もよく見えるわ」 ゆるりと微笑むは酷く楽しそうで、月明かりに照らされる輪郭は幸福そうに存在している。 家康は耐え難い寒気に身を震わせながら、必死に腕を伸ばしてのたゆたう体を抱き止めた。 「!!お願いだ!気をしっかり持ってくれ!虎の若子はもういねぇえ!そうだろう?なぁ頼む!わしの方を見ろ!!」 「幸村、幸村・・・!」 「!」 「幸村待って!置いていかないで!」 その痩せ細った体からは考えもできない力で、は暴れ、家康の腕を振り払おうと躍起になる。 訳のわからない悲鳴を放ち、腕を振り、見えない何かを追って空にすがろうとしていた。 「幸村っ!幸村ぁ!」 涙混じりの悲鳴に一瞬家康の腕が緩む。 はその隙を逃さず更に暴れ、逃れた庭先を駆けた。 「いや、いやよ幸村、ひとりにしないで!ずっと一緒に居てくれるって言ったじゃない!」 「!」 響く甲高い叫びが夜を裂く。 は長い髪を振り乱し、必死になって空に呼び掛けた。 だがそこには、やはり誰もいない。 「もう、遅いようだな」 凛と冷えた声が広い庭に響いた。 石畳に膝をついていた家康ははっと顔をあげ、元就の苦く歪んだ表情を捉える。 「毛利、よせ、」 家康の細い声は元就に届く前に霞んで消えた。 元就は傍を駆け抜けようとするの折れそうな手首を捉え、一瞬にして動きを封じて素早く項に手刀を落とす。 の悲鳴は奇妙に途切れ、肉体は糸の途切れたからくりの様に制御を失い崩れ落ちた。 元就の腕が意識を失ったを抱き止め、そうしてそっと廊下に彼女を寝かせてやる。 「直に皆起きるやもしれぬな」 「・・・」 「徳川、姫を運んでやれ」 「・・・」 「徳川?」 座り込む家康は今だ動けず、庭先に腰を下ろしたまま感情の定まらぬ表情で元就を見ていた。 「毛利・・・教えてくれ」 「・・・なんぞ?」 「・・・わしは、間違っていたのか?戦のない世の為に戦ってきた。だが、愛したもの一人救えない。わしがしてきた戦は正しかったか?」 震える声が喉に詰まり、家康は何度も肩を震わせる。 眩しい程の満月を背負い、元就は家康の名を呼ぶ。 感情の起伏を見せない平坦な元就の声は、どこまでも荘厳で、見えないなにかに満ちている。 それはまさに、神の様な尊大さであった。 「我にはわからぬ。物事は必ずいくつもの側面をもっている。揺るぎ無い正も悪もあるまい」 「・・・相変わらず、冷てぇ男だな」 小さく苦笑した家康はの側に擦り寄り、項垂れるように頭を抱えこんだ。 「例え貴様がしてきた戦が間違いであろうと、時を戻すことは誰にもできぬ。それこそ神であってもだ」 「わかってる・・・わかってる、だが、」 「納得するしかない。間違いであったならば、その間違いを帳消しする程の働きを見せてみよ」 底冷えするような静かな横顔は美しい満月を見上げており、普段日輪を拝む姿とは何処か似ていて、しかし相容れない。 「起きてきた者への説明は我がしよう。お前は姫を運んでやれ。風邪を引く」 「・・・すまねぇ」 家康は元就に礼を言い、深く昏倒するの体を抱き上げた。 骨と皮しかない小枝の様に痩せ細ったね体は、まるで羽のような軽さにぞっとする。 死地に片足を入れるね容態は決して軽くはないのだろう。 雀の飯程度の量の食事をし、あとは幸村の髪を食うばかりか。 家康には止められなかった。 もしもずっと側に居てやれたなら、今とは違う結果になっていただろうか? 命を感じさせないの無機質めいた体の重みに、家康はぐっと歯を食い縛りの部屋へと向かうのだった。 |