「悪かったな。妙な所を見せちまって」 家康は決まり悪げに頬を掻く。 部屋には独眼竜伊達政宗、四国の鬼長曽我部元親、智将毛利元就と、豪勢な面々が揃い、それぞれが箸や杯を掲げていた腕を止めていた。 「ありゃあ、武田の姫さんだったよなぁ?」 「随分、痩せたな」 元親の問い掛けに政宗が続ける。 一時甲斐武田とも同盟を共にしたことのあった政宗はとの面識はなくはない。 当時の面影もないといえば言い過ぎるが、しかし目に見えて衰弱した姿には驚きが隠せなかった。 「心を・・・病んでな」 家康は苦い笑みを落としながら上座に座する。三者三様それぞれが反応するものの、気の利いた言葉はついぞ出なかった。 「わしが、悪いのだろうか。住みよい世を作るためには今のままじゃいけねぇ。そう思ってしたことには心を痛める。甲斐を失っては・・・」 「時代は変わる。仕方がねぇことじゃねぇか!」 元親はその太い腕で力強く家康の背中を叩き、暗鬱とした空気を叩き出そうとするのだが、突然の衝撃に耐えかねた家康は盛大に転がり目を回す。 「なにしやがる元親!」 「怒鳴るなよ」 からからと笑う元親が少なからず憎らしい。 自分はこんなに悩んでいるのにと身勝手な怒りが頭をもたげたが、それを口にする程家康は幼くはなかった。 やれやれと嘆息し、出来るだけ威厳あるように座り直して自分の酒の注がれた杯を手に取った。 「しかし、あの調子じゃ終いには臥せるんじゃねえか?」 政宗が酒を煽りながら言えば、家康の表情は苦しげに歪む。 食事はもう雀の餌程度しか喉を通さず、日がな一日遠くを見つめるばかり。政宗の言うことが尤もだ。 今だって、寝たきりでないのが奇跡に近い。 どうしたものかと嘆息した家康に、酒を飲み下した元就が、ひやりとする声で家康の名を呼んだ。 「徳川よ。弱者は切り捨てればよいではないか。武田はもう没した家。義理立てして傍に置く必要はなかろう」 「元就、」 相手を咎める声音で元親が静止を促す。しかし元就は気にせず手酌で酒を注ぎ、戦場を見るような鮮烈な視線で家康を射竦めた。 「個に囚われるものが全を統べることは不可能ぞ。天下を征する心算ならば、貴様も選ばねばなるまい」 水を飲むように酒を煽る元就の頬に赤みはない。九州の鬼島津と張る酒豪ぶりには各々言葉をなくした。 「あー。まぁ、そう気を落とすなよ家康。漸く戦の事後処理が終わったんだし、暫くは姫さんとゆっくり出来んだろぅ?」 気を使った元親が話を切り上げ人好きのする明るい笑みを浮かべる。家康もひとつ頷いて自分も酒を煽った。喉を焼く酒が、今は酷く心地いい。心の痛みを滲ませる熱さに味もわからぬままに飲み込んだ。 「遠駆けとかいーんじゃねぇか?俺が知る限り、あの姫は存外にじゃじゃ馬だったからな」 同性でも惚れ惚れするような、男くさい笑みを浮かべた政宗の妙案に家康はそれもいいなと笑った。 そうだ。は徳川の女になったのだ。家康のこの自慢の三河を見て貰おう。 甲斐にだって勝るとも劣らない、暖かく豊かな地だ。 寂しい城に閉じ籠るよりもずっといい。 どこへ連れ出してやろうかと考えれば、どうしようもなく頬が緩んで仕方がなかった。 「三河はいい所だ。皆が絆を大切にし、支えあってやがる。俺も、嫌いじゃねぇぜ」 夏晴れの太陽の様に笑う元親の言葉に家康はますます気を良くした。 きっと、も三河を愛してくれる。 そんな確証のない自信が酒の力を借りて育って行く。 元就だけが、ただ静かにそんな家康を見ていた。 *** 「徳川」 ふと呼ばれ瞬時に意識が持ち上がる。酒に酔っていようが、武人は武人。気配により目覚め、睡魔は瞬時に姿を消す。周囲を警戒しながら身を起こせば、部屋の外から元就がこちらを見下ろし立っていた。 「毛利?いったい」 「ついて来い」 「お、おい?」 家康の城をまるで我が物顔で闊歩する元就に気圧され、家康は大人しく後に続く。 城主としては情けなくはあったが、元就は質問も反抗も許さない絶対的な見えないなにかがあったのだ。 「以前、貴様から聞いた言葉が引っ掛かっておった」 「何がだ?」 「かの姫は、髪を、所望したらしいな」 かみ、と繰り返した家康は一体なんのことかは皆目見当がつかず、暫く閉口した後にはたと顔を上げた。 「虎若子の髪か。それがなんだ?」 「以前、城外で聞いた話なのだが・・・」 言い淀む元就とは珍しい。 少し緊張した元就の背を見つめながら、家康はそんな事を考えていた。 「ある商人の娘には溺愛した猫がいたそうだ。昼夜問わず傍に置き、毎日その猫と娘は一緒にいたらしい」 「はぁ・・・」 突然の話に家康は間の抜けた声で相槌を打つ。普段ならば叱責のひとつ位飛んできただろうが、元就は気にせず続きを語り続ける。 「しかし、猫と人の寿命は違う。猫は次第に年を取り、終には死んでしまった。娘は酷く悲しんだ。唯一の友を失ったような深い絶望を受け、部屋に閉じ籠ってしまった。娘の両親は娘を心配して新しい猫を与えたが、娘は一目見る間にその猫を屋敷の外へと放り出してしまう。困りはてた両親は、もう時間に任せるしかないと娘をそっとしておくことにしたのだが」 「だ、だが?」 夏の終わりの怪談話か、ひゅうと吹いた風に身を小さく震わせながら、家康は続きを尋ねた。 「暫くして、娘の部屋から笑い声が聞こえるようになった。気が触れたのかと心配になった両親は娘に何事かと問うたが、娘は何も語ろうとはしない。しかしその日を境に娘食は段々と細くなり窶れて弱っていった。医師に見せてもどこも悪くなく、困り果てた両親は匙を投げた。娘は医師にただ一言言ったらしい。『猫が帰ってきた』、と」 ごくり、と家康は喉を鳴らす。 この智将が、訳もなく戯言を語るはずがない。その心意を探らねばと働く頭に、探ってはならぬと静止をかける心があった。 どくどくと煩く心臓が脈を打ち、ひやりと背中に流れた汗の温度さえわからない程、家康は動揺していた。 「遂に動けなくなるほど衰弱した娘は、一月置かずに命を落とした。娘の遺物を整理した両親は、娘の棚から奇妙な物を見つけたのだ」 「・・・それは、」 「猫の毛だ。娘が飼っていた猫の毛と同じ色だったらしい。不思議に思った両親は娘のものをさらに調べた。所有者を失った急須と茶碗には、猫の毛がいくつもついていたらしい」 「やめろ・・・毛利、やめろ・・・もう聞きたくねぇ・・・」 「医師に頼んで娘の腹を裂けば、娘の臓物の中からも猫の毛が大量にでてきたそうだ。それはつまり、娘は死んだ猫の毛を」 「やめてくれ!!」 弾ける家康の悲鳴に木々に止まっていた梟たちがほうほうと鳴きながら夜に飛び立つ。 相も変わらない、元就の氷の様に澄んだ瞳と、家康の恐怖に揺れる瞳がぶつかる。 肩で荒く呼吸を繰り返す家康はまるで悪夢をみた幼子の如く、今にも泣き出しそうだった。 「違う。は・・・違うっ」 「あの姫は虎の若子の髪をどうした?」 「は虎若子の髪は形見にしたんだ。死人の髪を喰うなんて正気の沙汰じゃねぇ。は、はそんなことをするほど弱くはねぇ。そんな気違いじみた真似はしねぇっ!」 「徳川」 まるで、片手ほどの年にもいかぬ童子をあやすような、耳に優しい元就の声に家康はびくりと肩を震わせる。戦場では血も通わぬと思わせる冷徹な声音が持つ元就のその声は、不可解な程に恐怖を煽った。 「我は以前、ある宗教に傾倒した」 「・・・例の南蛮人の奴か?」 「愛とは、破壊だ」 甘い声と冷たい表情。 相反するそれが奏でる両面性に家康は思考捕らわれる。 真っ直ぐに家康を捉える元就の唇が、最後の一撃を解き放った。 「あの姫は、虎の若子の愛に死ぬであろう」 静か過ぎる銃声と共に放たれた銃弾は迷わず家康の肉を貫き心を砕いた。 揺るぎ無い元就の言葉に家康は呼吸も忘れて立ち尽くす。 丁度二人が足を止めて着いた先は、の寝所であった。 「幸村」 小さく響いた甘やかなの声に、家康はくらりと目眩と共に地に膝を着いた。 |