「相変わらず、姫様は美味しそうに佐助の団子を食べますなぁ」 「幸村だって人の事を言えないわ」 ふたり、くすくすと童子の様に肩を揺らして笑いあう。 口煩い世話役や忍も居ないので、別段あれこれ取り繕う必要もない。それぞれ片手に佐助特製の御手洗団子を持ちながら、穏やかな午後を笑い声で満たした。 「でも佐助のお団子も悪いのよ。こんなに美味しいんだもの」 「まったく、その通りにございますな。今では上田の厨房はすっかり佐助の領地になってしまいましたし」 「父上もなにかと付けて上田に遊びに来てしまうしね。戦が無いとはいえ、父上ったら浮かれすぎたわ」 「仕方ありませぬ。今は天下平定の世。戦のない平和な世であります。某らの祝言も、すぐにとお館様は仰せでございます」 「本当!?幸村、私、嬉しい・・・!」 吹き抜ける風は穏やかに優しい。 戦の無い世。 魔王や覇王を打ち破り、天下を制した信玄の統治はどこからも不平不満の聞かない素晴らしい治世となった。 槍を握らなくなった幸村の腕は、筆との腕を握り、琴とお華と忙しかったの腕は、ただ一人、幸村だけを握り返す。 満たされる日々は甘くほころぶ。 穏やかに目尻を蕩けさせる幸村は、の手の甲に己の手の平を重ねて微笑む。 幸福を物語る笑みにも頬を赤らめ、そうしてそっと幸村の逞しい体躯に体を預けた。 「いつまでも、こうしていたい」 「構いませぬ。こうしておれば」 「駄目よ。駄目、幸村・・・」 「何故?姫様は某がお嫌いですか?」 「幸村のいぢわる。嫌いなわけないでしょう?」 「ではいつまでもこうしていてくだされ。某の、お側に・・・」 包まれる手に絡めとられる指先。幸村はもう片方の腕でな髪を遊び、一房に口付ける。 駄目よ、ともう一度は静止をかけようと首をもたげるが、あっという間その手がの顎を捉えてしまった。 幸村の薄い唇がの唇に重なる。 「なんとも甘い」 みたらし団子の砂糖醤油の味に幸村が笑う。少年のそれではなく男の笑みに、はぞくりと肌が粟立つのを感じた。しかし恐怖はない。滲み出る恥じらいが心臓を強く跳ねさせた。 「、」 だが幸村は直ぐにいつもの子供の様な笑みを繕うと、後はただ優しくの髪をすくばかりであった。 「幸村、私、どこにも行きたくない」 「行かなければいい。某もいます」 「でも、私は、」 「なにを戸惑うのです?」 「幸村、わたし」 「某を置いてゆかれるのですか?」 はっと見開いた瞳の先には泣き笑いの苦笑を浮かべた幸村の顔があった。 「・・・」 心臓を鷲掴みにして、そのまま握りつぶされる恐怖を感じる程の痛みには涙を浮かべる。 「?」 置いていける訳がない。 優しい幸村。 愛しい幸村。 は幸村の頬を撫でようと腕を伸ばす。 涙で視界が滲んでしまう。 だからは急いで、幸村が見えなくなってしまう前にと腕を伸ばす。 「好きよ幸村、あなたの側にいたい」 「某も、何よりも姫様をいとおしく思うております」 「幸村・・・」 触れた頬はなめらかな肌触り。傷ひとつ無い。平和な世界を表すようで、は目尻に溜めた涙を一筋溢した。 「姫様」 「幸村・・・」 幸村の頬に触れたの手の平を幸村の大きな手が重なり包む。 火照るほどの熱にはますます涙を流した。 「!」 途端手首に走る鋭い痛みには悲鳴を上げた。 瞬間掻き消える手の平の先の熱や上田の桜、佐助の団子の甘い匂い。 見開いた瞼の先には、泣き出しそうな家康の顔があった。 何故だろうとの思考は一巡する。 何故家康は泣き出しそうなのか。 何故幸村がここにいないのか。 ここは何処だった?今は何時? 「いえやすさま・・・?」 「・・・」 くしゃくしゃに歪んだ家康の表情に涙が光る。 家康は二、三度口を開き、しかし閉じてを繰り返し、結局なにも言えずに項垂れるしかなかった。 焦点の定まっていなかったの瞳は徐々に意識を取り戻し、その感情の輪郭をゆっくりと撫でる。 混乱は羞恥と罪悪感に染まり、そして嘆きと悲哀に落ち着いた。 はもう一度家康の名を呼ぶと、体を戦慄かせて声を殺して涙を流す。 「ごめんなさい、家康様ごめんなさい、ごめんなさい、私、私・・・」 膨らみをなくした薄い頬に涙が伝う。痛々しいそれは見るに耐えず、家康はを直視することが出来なかった。 日を追う毎に痩せ細っていく。掴んだ手首はまるで花のようだ。力を込めればは容易く折れてしまいそう。城にまともに帰れなかった家康は、なにも出来ずにそれを見つめるしかない。 それが口惜しくて、辛い。 は何度もごめんなさいと謝罪を繰り返す。 声音が表す嘆き。 家康はそんな声が聞きたいわけではなかった。 幸村と、今しがたの様な甘い声音で名を呼んで欲しかった。 「ごめんなさい、家康様、ごめんなさい」 「、もういい。もういい。おめぇも疲れてるんだ。休もう。わしの留守に気を張りすぎただけだ。なにも気を病むことはねぇ。だからそう訳もなく謝るな」 「家康、様っ・・・」 涙で目を真っ赤にしたはまたぽろりと大粒の涙を流す。 佳人は流す涙さえ美しい。 たおやかな珠の滴が撫でる輪郭は損なわれてもなお美しい。 ただの贔屓目かもしれない。 しかし、何故だか家康はが日を追う毎に美しくなっていることに恐怖した。 日に日に痩せ衰え気力を失いながらも、瞳だけは爛々と輝いて光が満ちている。その光が、弱るを美しく見せる。まるで散り際の桜のように。 そして、その目に写るのは自分ではない。家康はそれくらい理解していた。 だからこそ恐怖する。 が想う男は、とうに家康が息の根を止めたはずだから。 |