「元親に政宗に、あいつらわしにばかりたかりおって!」 同盟の要として軍を纏めたのだから致し方ないが、戦の事後処理を丸投げしてくるのは頂けない。考え方に寄っては、領地などを掠め取られなくて良いのだが、一人西から東に走らされる身としては少し辛い。いくら忠勝がいるとは言え、体力は無限大ではない。働けば疲れるし腹は減る。睡魔と疲労に討ち死にさせられた日も決して少なくはなかった。 そうして漸く事後処理の終わりが見えた頃には、既に戦を終えてから三ヶ月以が経過していた。 久方ぶりの江戸城はなんらかわりなく家康を迎え入れる。 ただひとつ変わってしまったものといえば、随分と痩せ細ってしまったくらいだった。 「、帰ったぞ」 「・・・あ、家康様!ごめんなさいぼんやりしていて、私ったら」 「構わねぇ。出迎えなかったくらいで別にわしは気を悪くしたりはせん。それより、また食ってねぇのか?」 「いえ、食べてますよ?きちんと三食」 心配するなと言わんばかりには笑う。女中の話でもきちんと箸はつけるらしいが少しづつ量が減っているらしい。 医師に相談しても、心の問題だと言われるばかりで何の手立てもない。 本音を言えば側に居てやりたい。だが国主として、天下人として日ノ本を駆ける家康はそれが許されない。我が儘を言いの側に居たとしても、職務を投げだしてまで側に居て欲しくもないだろう。も国主の娘だった。国主の存在が、どういうものなのかを重々理解している。政を怠れば民を失い、国を傾かせる。数十万の命と一つの命、秤に掛けていいものではない。 家康に出来ることはと言えば、僅かな時間を見つけて手紙を書き、江戸城に足を伸ばすこと位であった。 「おめぇは元から細いんだから、気を付けねえと直ぐに小枝みてぇな体になっちまわねぇか?」 「そんな風にはなりませんよ。ご飯の他におやつまで頂いて。ずんだ餅に加賀のお饅頭。南蛮の金平糖にかすていら。いつも家康様が送ってくださいますからそう簡単には痩せませんわ」 「ん、そうか」 鈴を転がすように笑うの笑顔に嘘はない。それでも、やはり見るからに細くなった指先や腕を見てしまえば疑いは止むはずもなく募るばかり。 元凶は自分に他を置いてはないだろう。 しかしそれをおくびにも出さない。 家康はただただその苦しみが紛れるように祈りながら、全国各地の名産をに届けるのだった。 「今度は九州の島津に酒を頂いてな。わしは向こうで飲んだがなかなかのもんだった。はどうだ?」 「私もお酒はあまり。甘いもののほうが好きですわ」 「はは、そう言うと思ってな。中国の元就にもらった吉備団子だ。あそこも随分甘いものが好きらしいぞ」 「頂いてもよろしいでしょうか?」 「無論だ!その為に持ち帰ったんだ」 言えばは嬉しそうにいただきます、と手を合わせる。 一口かじり、その甘さにほうと破願して、家康はのお気に召したことを察した。 「とても美味しい。家康様も一口どうぞ」 「ああ、すまねぇ」 差し出されるまま口に運ぶ。 口内に広がるきび粉の甘さに家康は確かに美味いと相槌を打った。元就が強く薦めた通りの一品である。商人を送って、こちらにも流通して欲しいものだと思い、今度元就に伺いを立てようと家康は一人そう考えを纏めた。 「家康様、いつもいつもありがとうございます」 「なんだ急にあらたまって」 佇まいを直したは三つ指までついて家康に礼を述べた。 家康様としては罪滅ぼしに近いそれに、礼を言われるほどの価値はない。 だがは、少しだけ潤んだ瞳に家康を納めて頭を下げた。 「天下平定をお整えの最中、私のことを気遣っていただき、本当にありがとうございます。私は、家康様になにもして差し上げてもいませんのに」 「馬鹿なこと言うんじゃねぇ。わしは、が居てくれるだけでいつも感謝している。お互い支えあうのが夫婦だろう。おめぇが気負うことはねぇ」 「ですか、」 「わしがしたくてやっているんだ。わしの方こそ、いつもいつも文を出して面倒ですまねぇな」 「そんなことありません!日ノ本中のお話を聞かせていただいて、感謝しています!」 拳を握り、そう力強く言ってくれるに家康は笑みを隠せなかった。 本当に優しく、美しい妻に戦国の世は似合わないと感じる。家康はの為に、信玄や謙信。妻と乗り越えた将の為に一刻も早い天下平定を目指すと決意を新たにした。 「私は、家康様の妻でよかったと思います」 「わしこそがわしの妻で良かったといつも思う」 言ってしまえばとたんにの潤んだ瞳が涙を溢した。一滴、二滴。溢れるそれに慌てる家康。は謝罪の言葉を繰り返す。 「、なんで泣くんだ?」 「ごめんなさい、家康様、ごめんなさい、ごめんなさい」 止めどなく流れる涙がの頬を撫でて滴る。肉が失せた頬、色の無い肌。痛々しい姿に家康は無骨な指先で涙を拭ってやった。しかしすぐに槍を握る節くれた指は痛かろうと思い至り、手近な手拭いに腕を伸ばすがは両手で家康の手首を掴み、その手にすがり付くように顔を寄せる。 ごめんなさい、ごめんなさいと泣きながら謝る姿は、浅井の妻を彷彿とさせた。しかしは市のようになにかを恐れているわけではない。そこから匂わされる自責の念。家康は何も言わず、の謝罪を受け止めた。 「ごめんなさい、家康様。私、私・・・」 二人きりの空間に満ちる嗚咽が心臓に突き刺さる。 例え敵を討ち、天下を手中に納めようとも、家康はこんなにも無力だった。愛する妻一人の悲しみも払拭してやれない。 己の無力さを痛感する家康と、ただただ涙を流すばかりの。 「ごめんなさい、ありがとうございます、家康様。は、はあなた様の妻に相応しくありたいのに・・・。ごめんなさい、ごめんなさい」 はらはらと散る涙が真珠のように美しく煌めく。 家康はそれを眺めながら柔らかい苦笑を溢した。 「気負うことはねぇと言っただろう?、おめぇはわしには過ぎたる妻だ。自信を持て」 力強く囁けば、は益々泣き出しそうに瞳を濡らした。 だがゆっくりと家康から腕を離し、涙を拭って泣き止もうと努力する。暫くしゃくりを繰り返し、漸く泣き止んだの目尻は赤く染まっていた。 「家康様。私、あなた様の妻であれて、光栄です。あなたのような、素晴らしい方のお傍にいられて、これ以上誉れ高いことは、ありません」 そうして綺麗に微笑むが愛しい。家康は涙の跡の残るの笑みを心に刻みながら、ゆるりと立ち上がった。 「そう煽ててくれるな、わしはまだまだ未熟な将でしかねぇ。わしも、おめぇの夫に相応しくあれるよう努力する。また暫く帰ってはこれねぇ。その間、江戸城はに任せる。いいな?」 「は、このめにお任せください。家康様のご不在の間はが江戸城をお守りいたします。きっと、必ず」 「うむ、頼んだぞ」 そう言い頭を下げたを背に家康は部屋を出る。 戦に勝つだけが政ではない。戦に勝つだけが、天下平定ではない。 家康は新たに刻んだ誓いとの笑みを抱いて、再び戦の傷跡残る日ノ本を奔走するのであった。 |