act,11







花街で身を売り名を売り夢を売り、いつしか吉原一の花魁などと言われた昨今。
そんなものに一体何の意味があるだろう。ここは自由の無い篭の中。自分たちは翼を持たない籠の鳥。
馬鹿馬鹿しい。忌々しい。
なにが太平。なにが絆。結局女たちはこの腐った地の底で死ぬだけだ。変わったのは表面だけで、得を獲るのは武士たちだけだ。

「よぉ。今日も随分景気の悪い顔をしておるな、
「あらまた城を抜けてきたの?ばかんべえ」
「その変な渾名で小生を呼ぶな!」

徳川の名軍師なんて法螺を吹く官兵衛という男。身汚い割には金回りがよく、こうして足繁く通ってはを買う。吉原一の遊女の値は決して安いものではない。一晩中独占してまた翌日もなんてこともザラなので、この男はそろそろ背中を刺されるんじゃないだろうかとも思う。

「ったく。ま、今日の土産だ。手ェ出せ」
「金目のものかしら?」
「がめつい女だな!」

ころんと手のひらに転がされたのはおはじきほどの美しい小石だった。練琥珀色の艷やかに磨かれてはいるが歪な形の鉱物をしている。蝋燭の光にかざしてみれば、内側の結晶がきらきらと光っていた。

「それは蛍石と言ってな、珍しい鉱物で値も張るし美しいだろう?お前さんにやる」
「汚いわ」
「よく見ろ!綺麗だろう!」

自分の袖でごしごしとその小石を磨く官兵衛。真横に来た顎に手のひらを添えて、頬に唇を押し当てる。

「ここはお喋りの場所じゃないのよばかんべえ。いつになったら覚えるの?」
「は、小生は積極的なおなごは嫌いじゃないぞ」

熊のような大男を押し倒し、傷だらけの逞しい体に伸し掛る。汗の臭いは嫌いだ。だけれどもは不思議と官兵衛のことは嫌いではない。この男はいつも汗臭くむさくるしい事この上ないのに。底抜けの間抜けだからだろうか。薄汚れた肌に舌を這わせて、は傷跡に沿って舐め上げる。
戦場は、どんな所だろう。
苛烈さの欠片もないこの男がよく生き残れたものだ。
はそう感心して官兵衛の男根に口付けた。

***

横でいびきをかく大男。その隣では気だるげに煙管の白煙を吐き出す。
今日は互を求め合って獣のように何度も果てた。水の代わりに飲ませた白湯には軽い睡眠薬を混ぜてある。日が真上に昇るまで目は覚めないだろう。

「お前が悪いのよ。ばかんべえ」

連日官兵衛がを独占したせいである。ある商家の人間が強引にの身請けを決めてしまった。店としても毎夜金を生らす木であるを死ぬまで利用する気であったが、裏で堅気でない相手とつるんでいるのだから分が悪い。そうして泣く泣くを諦めたというわけだ。
は明日の朝、日の出と共にここを去る。
住処が変わるだけの籠の鳥。

「お前がもう少し賢ければ、もっと長く一緒に居られたのに」

眠りこける男の前髪を掻き分ける。普段は三枚目がこうしてみればなかなか整った顔をしているものだ。
朗らかで、馬鹿みたいに陽気で優しい声がもうの名を呼ぶことはない。
は息を殺して、そっと官兵衛の唇に己を重ねた。
遊女は男と口吸いをしてはいけない。口吸いをした相手に惚れてしまうから。
そんな迷信と皆は笑うが、この吉原で惚れた腫れたは御法度だ。
そんなことがあれば女は仕事に躊躇する。それは死活問題なのだ。
そうして実際、惚れてしまったのだから始末が悪い。
は官兵衛のせいにして、他の客を袖にしていたのは事実だった。
女の嬌声も、男の喘ぎ声も聞こえない静かな夜。は官兵衛にもらった小石ほどの美しい鉱物を握り締め泣き出しそうに小さく笑った。

「これはあんただと思って連れて行くよ、官兵衛。私の心はあんたにあげる。内緒よ?」

聞こえやしないと知りながら、そう呟く。
今しがた空になった胸がずきりと痛たんだが、明日になればなんてことない顔をしなければならない。
明日からは官兵衛よりももっと汚くて醜く救いがたい最低の人間の妾になる。
くだらない人生だ。
官兵衛と過ごしたこの時間以外、すべて。

「・・・っかんべ、・・・」

胸を貫く痛みには堪らず鉱物を握りしめていた。これは官兵衛の体温を宿さない。ただの冷たい石でしかない。

「随分熱っぽい声で小生を呼んでくれるじゃないか、
「あっ」

と言う間に手首を取られる。拍子に小石は遠くに転がり、部屋の隅にぶつかって動きを止めた。
馬乗りのように布団に縫い付けられ、暗い行灯の光でもはっきりと見える官兵衛の男臭い笑み。
は場違いに高鳴る胸に舌を打つ。

「確かに薬を混ぜたはずよ」
「小生には悪友がいたからな。生憎薬の類は効きが悪い」
「じゃあどうして眠ったふりなんて!」
「小生はこう見えて知性派だからさ」

肩を揺らす官兵衛が子憎たらしく、は鋭く眉を釣り上げて官兵衛を睨む。せっかく最小の痛みで別れようといたというのに!

「おかげでお前さんの本音が聞けたし、もう良いだろう?」
「なにが?」
「お前さんを攫うのさ、

ああ、ああと抵抗できないまま腕を惹かれて官兵衛の胸に抱き寄せられる。
熱く、固く、逞しい。官兵衛の胸、傷だらけの、戦を知る屈強な男の体。くらくらする男の香りだ。胸いっぱいに官兵衛の香りを吸い込む。の香と合わさったふたりの匂いにの胸が締め付けられた。

「攫ってもいいわ。私のこと」

唇を食み、指先を絡め、一糸纏わぬ姿でお互いを貪るように求め合う。

「勿論、そうさせてもらうさ」

そうして最後の夜が明ける。
そこにはなにも、残ってはいなかった。






椿姫