act,10







「いやはや、見聞以上に見目の通り。吉継殿は面妖な術をお使いになさる」

旧豊臣軍、現在の石田軍結成の際逸早く西軍に組みした九条家の娘。ご隠居の娘であり当主とされるは姫らしからぬ尊大な口調と声音で笑った。
政務室にいるのは石田三成、大谷吉継、そして九条の三人。
石田軍の中でさえ三成が信を置くものは少なく軍議は常に少数で行わる。同盟拡大の折は毛利元就の参加も増えたものの基本は三成、吉継、、そしてほか数名の武将たちで行われていた。
今回は大まかな事柄を決めるだけの軍議であり、たち三人だけで他に姿はない。
石田軍への従事の早さは豊臣への忠誠心の高さだと思い込む三成である為に、元親や幸村よりもへ寄せられた信頼は大きなものだった。故に三成はのこうした態度も目を瞑り、軍議への参加も許されている。
軍議も一段落した折に吐かれたの言葉。その瞳は吉継の周りと浮遊する大粒の珠を見ていた。

「さようか?」

初めは軽口を慎めと言いかけていた三成だが吉継が返事を返したために大人しく口を噤む。軍議といっても毎度吉継の決めた策や進軍先を三成が頷くだけのものなのだから、形だけの茶の席に近い。決定権は三成のものだが主導権は大方吉継が持っている。自ら道を逸れたのならば三成はそれを口を挟む必要はないと瞑目した。

「ええ。とっても不思議。輿や珠が浮くなんて」
「なに、容易き事よ。少し恨みを込めればよいだけの事」

すいと動く吉継の指の動きに合わせて珠がくるりと空を舞う。
はははぁ、と相槌を打って、自らも蜜柑を一つ袖から取り出す。

「見てください吉継殿。浮きましたよ」
「ヒヒ!殿は才がありやる」
「巫の所の蜜柑ですからね。あやかったまでですよ」

一体何をしている馬鹿馬鹿しいと刮目すれば、ふんぞり返るの姿である。正面の吉継からは見えないが真横の三成からは全て見えてしまっていた。

「親指を刺しているだけではないか」
「おや、三成殿は手厳しい」

ふふふと怪しく笑ったは、次に両手を合わせてみせる。

「親指がなくなった!」
「掌に隠すな」
「筆が消えました!」
「耳にかけて髪で隠れているぞ」
「小石はどちらの拳でしょう?」
「袖から出せ」

幼子のような手遊びにいちいち三成が合いの手を入れるものだから、吉継は仲良しよなぁと喉を引きつらせて笑う。まるで戦を知らぬ童のようにけらけら笑うに吉継は笑を深めて拍手をしてやった。

「上手い上手い。それに殿は随分無垢な心を持ちやるわ。我のような真似はできまい。いやはやまっこと、惜しい、オシイ」

もちろんそれは皮肉であるのは当然だ。
こんな天下を分ける程の私怨にまみれた戦に、実質の当主がわざわざ勇んで参陣したのだ。調べてみれば豊臣に大恩があるわけでもなく、かといって徳川に恨みがあるわけでもない様子。裏切る気配は今のところ微塵もないが、三成の性格を逸早く掴んだ上で、可能な限り九条家に利があるように動かしているのだから抜け目無い。とても無垢な人間とは言えはしない。
だがその薄暗い心根であれば、自分に並ぶことはないにせよ人ではないものの力が宿ってもおかしくないものだ。持たざる者の側に身を置くに、幾許か生まれた落胆は真実であった。

「あら、そんなことはなくってよ?こう見えてとっておきがひとつあるんですから」

そう胸を張って自信ありげに笑うは、先ほどの吉継を真似てすいと指先を横に振る。
ごとん、と重たい音が政務室の中に重々しく響いた。
美しく見目麗しい顔。陶器のような白く滑らかな頬に色はなく、銀色の髪がさらりと流れて畳に散らばる。転がった首を胸に抱き上げ、は楽しそうに目を細めた。

「あら不思議!三成殿が死んでしまいました!」

さぁどうぞ、との弾む声は酷く場違いである。
吉継は、怒りも憎しみも何もない。湧き上がる暇もなく感情は麻痺し、ただ信じがたい光景にひゅうひゅうと喉を鳴らした。枯れた喉を酸素が通る。ささくれを無理に剥がされるように喉が痛む。熱の所為でうまく呼吸も出来やしない。伸ばした腕は小刻みに震え、三成の体はの隣で大人しく正座をかいて鎮座したままであった。
首だけの三成は、瞳を閉ざし、まるで眠っているように美しい。

「刑部!!」

泡が弾けるように、世界の音が黄泉還る。湖面の氷が割れるように、世界の境界線が崩れ、三成はの横で不可解そうに眉を潜めていた。その首は繋がっている。血もなにも、そこにはなかった。

「どうした。返事もしないで、上の空だぞ」
「三、成・・・?」
「私がどうかしたのか」

三成は吉継の目の前まで伸びできた腕を掴んでやる。一見冷たい男に見えて、その実体温は他の物と変わらない。じわりと包帯越しに染みる三成の体温に、吉継は視線をへと戻した。まだ、動揺は収まらず心臓は煩い。鼓動を三成に聞かれるのはいい事とは言えなかったが、握られた腕を解く理由が見つけられず吉継はただじっとを睨むように見つめた。
うっとりと暗く歪んだ笑みを浮かべていたは、力を失って畳の上に転がっていた珠を一つ拾い上げ、それを両手で抱えていた。

「今のが私のとっておき。相手が最も恐れる心象風景を作り出し、その心を捕らえて殺す技です」

事も無げに言うだが、一体その細い体のどこにこれ程の闇が隠されていたのか。闇に目隠しされた第五天と、光に目が眩んで世が見えない巫女とは訳が違う。手に負えぬかもしれないの存在に吉継は一人肝を冷やす。

「吉継殿、いつか、あなたの最も恐れる光景に私の死が映し出されるように努力しますね」

そう告げ深く澱んだの瞳に凶星が煌めいた。
とんでもない娘に好かれてしまったとそれでも吉継はまんざらでもない溜息を一つこぼす。
痴情の縺れは願い下げだが彼女からは良質の不幸の香りがする。

「やれやれ」

深まる笑みの裏に滲む闇が、似ていると気付くのはそう時間がかからぬものだった。






滝夜叉姫