act,8 「あの月が綺麗な満月になったら、私、帰るね」 そう囁くように呟いたの声を、三成は聞き逃すことはなかった。 「どういうことだ」 相変わらずの鋭い眼光に睨みつけられながら、は慣れてしまった様子でそれを甘んじて受ける。それがただの真顔で、決して怒っているわけではないとよく知っているから。 「夢をね、見るの。次の満月までだって。誰かが私の腕を引っ張って、私は現代に帰る夢」 は後の世の人間だった。 なんの因果でこの戦国時代にやってきたかなど、誰にも解明できやしない。 未来人であるを有益と見なした半兵衛のおかげで、はなんの不自由もなくこの時代を生きることができた。 この大阪城で暮らして、もうすぐ一年経つだろうという頃だった。 「ふん、所詮は夢だ」 「でも何度も見るんだよ?」 怯えたようには肩を震わせ、それから満ち始めている月を見上げた。 満月はまだ遠い。だが必ずやってくる。 「私、帰りたくない。ずっと三成くんの傍に居たい」 すぐ怒鳴ったり、怒ったりもする三成。 しかし、根が真面目で真っ直ぐで、本当は優しことをは知っている。 毎日一緒に過ごして、だんだん好きになっていった。 秀吉と半兵衛、吉継も応援してくれた。そして三成はに応えてくれた。 相思相愛。繋いだ指先は絡み、優しい熱を伝えてくれる。 「帰るな。それは私に対する裏切りだ。私の元を去ることは許さない」 指を潰すかの如く強い力が加わって、握られたの指は簡単に折れてしまいそうだった。けれど決して折れたりはしない。三成は優しい人間だった。無意味に誰かを傷つけるなんて、しないし出来ない人だから。 は目尻に涙を滲ませて、三成の胸に飛び込む。 薄い、それでいて筋肉質な三成の胸。ほんのりと香る香木の匂い。以前が好きだと言ったら欠かさず焚くようになった三成のいじらしい心遣い。 「帰れないように岩にでも縛り付けてよ。三成くんになら、そうされてもいいんだ」 「変態め」 「あはは。ひどいなぁ」 言っている事は冷たいのに、抱きしめてくる腕の強さにの鼻がツンと痺れる。 は三成のその背中に腕を回して、ぴったりと隙間なくくっつくように抱きしめ返した。誰にも引き剥がされないように。怖い夢をもう見ないように。 「次の満月だ」 頭の中で木霊する声を打ち消すように、は何度も三成の名前を呼ぶ。 「三成くん、三成くん」 「なんだ」 「もし私が犬とか猫になっても離さないでね」 「当然だ。なんだ突然、馬鹿馬鹿しい」 「もし私が虫になっても、嫌いにならないでね」 「虫になる予定でもあるのか貴様」 「ないよ。でも、魚になっても、鳥になっても、私のこと、忘れないでね。ずっとずっと、好きでいてね」 もし、もしも本当に次の満月がをこの世界から追い出してしまったら。 はもう二度と三成と会うことはできない。 どれほど指先を絡めても、好きだと力一杯叫んでも。姿の見えないいつかという恐怖が台無しにしてしまう。 は、怖かった。 「みつな」 り、と続く音は三成が食べてしまった。 捕食するように唇を噛まれる。血の味がして、それから舌を絡め取られた。 怒ってる?と聞く暇も与えられる。三成は乱暴なほど深く深くに口付けて呼吸さえも奪う。 酸欠に目眩がした頃、三成はようやく唇を離しを解放する。二人分の唾液に濡れた口元が、月の光を受けてひどくいやらしく光っていた。 「下らん。犬だろうが猫だろうが人であろうがそうでなかろうが関係ない。どんな姿をしていようが私がを愛していることに何一つ変わらないことだろう」「う、ん」 「月なんぞに貴様をやるものか。お前は私のものだ。奪うと言うならば、月だって落としてやる」 の瞳に映る月を睨みつける。三成は忌々しげに眉をひそめ、の瞳から月を打ち消すように覆いかぶさった。 「三成くん!」 「月に教えてやる。は私のものだとな」 太ももを撫でられの背が甘く粟立った。 これから致すという事実には焦り、「外だよ!」と声を荒げる。 構わないと口付けの合間に短く告げて、三成はの首筋に柔く歯を当てた。 あっ、と漏れた嬌声に、恥じらうように月に叢雲がかかる。 「絶対に、私はお前を離さない。」 ゾッとするような低い声。そこから滲む欲情の色に、は喉を鳴らして三成の首筋に腕を絡めた。 「うん、離さないでね。三成くん、大好きだよ」 ゆっくりと闇が広がる。 星月の明かりも、脳裏に響く幻聴も届かない。 は三成の体を受け入れ、離れることがないように心臓の鼓動を重ねていった。
輝夜姫 |