act,7 日輪の加護を受ける中国のその領域で、唯一春の陽気を思わせるような場所が一ヶ所あるという話があった。 氷の智将、毛利元就が治めているとは思えないという言われようである。 さて、その日輪の宮と呼ばれている場所を正しく知る者はいない。噂ばかりが独り歩きしているが、それが存在しないものではないのは確かだ。毛利元就その人こそが、日輪の宮は存在すると公言しているのだから。 つまりその場所は毛利元就その人以外知り得ない。 かくして日輪の宮には、毛利家と毛利元就の宝が隠されているのがもっぱらの噂だった。 *** 「」 誰も知らない少女の名前を、元就はうっとりとした様子で音をなぞる。 長く滑らかな髪と傷ひとつないまるい肌。上質の絹を纏う少女の瞼がふるりと震え、開かれた眼に元就の微笑みが映っていた。 「元就様?」 「起こしてしまったか」 「えへへ」 「なにを笑う?」 「起きた時に、元就様がいて嬉しかったから」 蕩ける笑みは極上の甘さで元就を癒す。 撫でていた髪をひと房結い上げ、元就はそこに唇をそっと触れさせた。 この毛利元就の氷の面を溶かすのは、世界で唯一、この少女だけだろうことを一体誰が知るだろう。 「お前は愛い」 柔らかくほころぶ目尻と口端。も嬉しそうに頬を染める。 元就がをこの日輪の宮に隠してから随分と経ったが。は外に出ようともしないし元就に文句を言うこともなかった。まるで外になどなんの興味もないようである。 世情など気にも止めないは子供以上に無垢だ。 人ではないように感じさせるその無垢ささえ、元就は愛している。 駒を鍛え、領地を治め、敵を排除し、時折大谷と悪巧み。 はなにも問わず、元就のつらつらと述べられる愚痴に相槌を打って、話の最後には「、難しい話はわかりません」と笑うのだ。 そう。元就は誰かに意見など求めていない。 その答えで十分だった。 良いも悪いも知らない。は元就しか知らない。 の世の全ては元就が全てで始まって終わる。 ただ受け入れる。否定も肯定も、正しさも誤りもない。 のその姿こそが元就の渇いた心を何よりも潤した。 元就にとって、は唯一の憩える所。日輪の宮。ただそこに存在する。誰にも見えない、触れられない。毛利元就の至宝であった。 元就はを愛している。この日輪の宮の外に出し、人目に晒すのが惜しい。認められないと思うほどにを想っている。 この宮から出ることもなく、元就の声だけを聞き、元就だけに笑いかけ、そして、元就に看取られて死んでしまえばいい。 「元就様、大好き。いつまでもここに置いてくださいね」 その言葉しか知らぬように、はいつまでもそう笑う。 この数千数万の毛利の兵に囲まれた、何人の侵入も許さないこの城で。 茨のように張り巡らされた、十重二十重の駒と罠に守られて、今日もはこの毛利の城に囲われる日輪の恩恵を降らす。 もし、この茨の呪いが解かれることがあるならば、を殺してこの愛を永遠にしてみせよう。 来ることのない夢想に思いを馳せ、元就は両腕の中にを抱きとめた。 「無論よ」 茨の王が呪いを解く気など欠片もないのだから。 こうして、元就が日輪の宮と呼ぶ毛利の城の一室で、今日も茨が青く育って犇めいてゆく。 誰にも奪われることのないように、元就は大事な蕾を抱きしめた。
茨姫 |