act,5 そこに寄ったのは偶然だった。 人里離れた海沿いの、小さくも威厳のある社がひとつ。 雨をしのぐ宿の代わりに立ち寄ったそこに居たのは真っ白な心を持った少女だった。 「こんにちは、慶次さん。いらっしゃい」 「うん、ちゃん久しぶり。お土産いっぱい持ってきたよ!」 この社で出会った少女の名前はという。 若くしてこの社の最高位である玉依の任を任せられている、真面目で真っ直ぐでひどく大人びたしっかり者だ。 慶次の知る巫女の代表といえば鶴姫なので、こうも大人しい巫女とは不思議なものである。 鶴姫といえば、あの伝説に恋をしているらしい。 は鶴姫よりいくらか年上のようだが、思う相手はいないのだろうか。 人よ恋せよと高らかに叫ぶ風来坊。話を切り出したのは二度目の訪問の際だった。 「ちゃんは恋してないのかい?」 「恋、ですか?」 「そっ、恋はいいもんだよ!あったかくてさぁ。すごく幸せな気持ちになれるんだ」 かすがや鶴姫、それに利家とまつを思い出す。みんな幸せそうににこにこしている。 「さぁ、必要ないので」 「必要だよ!だって幸せになれるんだよ?」 慶次の言葉には似合わない、冷めた微笑みで慶次を見つめ返した。 まるで新興宗教みたい、と。 「私たち巫女は一生を神に捧げます。それがすべてです。恋だなんて馬鹿馬鹿しいじゃないですか」 「そんなことないよ!だって恋するって人を好きになることだよ?人として強くなるってことだ。鶴姫ちゃんだって、恋をして強くなって、自分の足で歩き出して」 「伊予の巫女のお話は聞いていますよ。男を追って飛び出して、戦の真似事をしていると。神に授かった目をあんなふうに使うなんて、罰当たりな。あの子、死にますよ。関ヶ原で」 「関ヶ原・・・?」 「まだ先みたいですけどね。あの子は恋を知ったばかりに死ぬんです」 それは冷たく硬い声だった。 いや、温度も形もない。無慈悲なまでに無感情な、この世に無関心な神のような声だった。 の話を聞いて数週間後、天下の雌雄が決した。 東と西がぶつかった、天下分け目の関が原。 またも慶次は間に合わなかった。泣き濡れる孫市の傍で冷たくなっていた鶴姫を見つけた時、慶次の頭の中でのあの声が木霊していた。 河野までその体を運んでやれば、彼女の体は丁寧に埋葬されはしたが、そこにはもう居場所などなくなっていた。 河野には新しい巫女が立てられていて、鶴姫がいなくても何の問題もないようだった。 鶴姫は、もう神に愛されていなかったから死んだのだろうか。 心のままに生きることは罪なのか。 神はいつだって理不尽で身勝手だ。 そう怒鳴りつけたのは三度目の訪問の際だった。 「それは人間のほうでしょう?」 とは思いの外優しく笑ってそう言った。 子供を宥める親のようだと思ったことを、慶次はまだ覚えている。 「神は全能ですが万能ではありません、第一、神の存在を信じていないのに都合の悪い時だけ全ての責を神に押し付けるのは如何かと」 「そんなっ、だって!!」 「すべての生も死も意味があります。ですがそれは神のみが知るところ。私たちは天命を知り、それを全うして死んでいく。それで十分じゃないですか。あの子の死も、神にとっては意味のあることだったんです」 それがなりの慰めだったのか、ただの説法だったのか慶次には計り知れず判断しかねた。 ただ、死ぬことに意味などないと思う。 死の意味を認めてしまえば、それは、ねねが死を受け入れたこと、秀吉がねねを殺したこと、それを認め、受け入れてしまうことになるからだった。 四度目の訪問の際、慶次はにこう告げる。 「俺と、恋してくれないかい?」 ひどく可笑しなお願いである。 天命を知ると、天命を知らない慶次。 天命とは一体何だろう。武士らしく戦って死ぬことなのか? そんなことは嫌だった。天命もなにも知らない。慶次は慶次の望むままに生きるだけ。 慶次はが忘れられなかった。 「これはきっと恋だから」 慶次の言葉に、は困ったように苦笑をして眉尻を下げる。 「・・・慶次さん、今、お幸せですか?」 「わからない」 「では、暖かな心地ですか?」 「ちがうと、思う」 「そのお顔は、笑っているおつもりですか?」 「・・・」 答えられなかった。 慶次はただ、無性に泣き出したかった。 むちゃくちゃに握り締められた紙のように歪んでいた慶次の表情に、は穏やかな苦笑で慶次を手招く。 抱き寄締められた慶次の頭。の細い体からは、仄かに海の香りがした。 「慶次さん。私は神を信仰してもう長いです。その間ずっと神の存在を感じてきました。私はいつだって満たされ、見守られていたんです。だから、あなたと恋することはできません」 「・・・ちゃん」 「恋をすることは世俗に身を浸すこと。嫉妬、欲望、疑心暗鬼と過ぎた願望に囚われることになることでしょう。だから私は、恋をしないんです」 「・・・うん」 情けなく返事をする慶次。 その声に合わせての胸元が生ぬるく湿っていく。 「ですが、あなたの春を呼ぶ、きらきらしく、優しい風は、決して嫌いではなかったんですよ。慶次さん」 「うん、うん・・・ありがとう、ちゃん」 そうして慶次の、幸せな気持ちにも、暖かな心地にもなれなかった、悲しくて淋しい恋は幕を閉じた。 いや、本当にこれが恋だったのか、慶次は今でもわからない。 ただ、慶次は以前よりもっと、ずっと、の心を傍で感じられるような気がしたのだった。
玉依姫 |