act,3







忍務の帰りのその時だった。
夜半にしては珍しく、人の騒ぐ声に引き寄せられ佐助は興味本位で足を伸ばす。
野鳥よろしく木の枝に止まって見下ろす眼下の村ではどうやら飢饉による雨乞いか、何かは知らぬが若い娘を縛りあげその傍で一端の呪い師を気取ったものが祈祷を上げているところであった。
城下など一生夢見るだけのような国境沿いの山村だ。「野蛮だねぇ」と笑う佐助は暫し様子を伺うことにしてその場に落ち着く。
太い丸太に縛り付けられ、一糸まとわぬ娘の姿を松明が作る炎の光が淡く浮き彫りにさせる。
ここからでもよくわかるほどの荒縄は痛々しいし、成長途中の小柄な体は何とも言えない罪悪感を抱かせる。
村娘にしては上等な部類だろう。
泣き叫ぶ娘は哀れっぽく、その様が頭の中で誰かと被る。
腕を振って頭の中から記憶を追い払うが、泣いていた姿はなかなか消えてはくれない。

「土地神様、土地神様、どうか我らの村に雨と実りをお与えください」

低くしわがれた何重もの声に、娘の悲鳴が高く上がった。
娘を囲むようにして膝をついていた者たちは、皆一様に不可解な紋様を描いた仮面をつけており、おそらく土着信仰だろう見たことのないものだ。
それらは娘ににじり寄りつつ着物を脱ぎ始めると、下帯もつけずに猛る男根を晒している。
どうやら人間の体を依代に神を降ろし、生贄の娘とまぐわうことで神に生贄の娘を捧げるのだろう。
下種な儀式だことだ。
これが豊穣の祈りなのか、肉欲の宴なのか。佐助には理解しかねるし関係もない。
ただ吐き気を催すような醜悪で不快な場面であることは確かだ。
娘が身篭ればそれは神の子で、実りがなければ女の不貞と詰るのだろう。よくある話だ。
男たちは結託し、すべての責を娘に任せ享楽に溺れる。なかなか出来た儀式じゃないか。
そうしている内に一人目の男が娘の両足を担ぎ上げる。露わになる秘所に娘の悲鳴は止まない。

「まさかいきなり?」

ついひきつる笑いが浮かぶ佐助だが、その行為から目が離せない。

「嫌ぁ!!こんな人生は嫌っ!!誰か助けて!!」

その悲鳴はひどく懐かしかった。
忍になんてなりたくないと、そう泣いた幼い金色の姿と重なる。

「はーあ・・・俺様ってばお人好しなんだから」

とん、と木の枝を蹴る。
手近な枝を手折り、男の胸に向かって投げつける。苦無と同じ要領だ。それはまっすぐ吸い込まれるように男の心の臓に突き刺さり、短い絶叫を聞きながら佐助は娘が縛り付けられていた丸太の上に降り立った。

「これは俺様の贄だろう?勝手をされちゃあ困るなぁ」
「な、な、なんだおまえは!!」

男たちのみっともなく震える声に、佐助はにんまりと口角を釣り上げて笑う。
纏っていた闇が晴れ、佐助の衣は黒い襤褸。そうして顔には赤い文様が描かれた天狐の仮面で覆われていた。

「俺様かい?俺様はこの土地の神。天の狐と書いて天狐。前の土地神は俺様が食っちゃったのさ」

ざわめく男たちを無視して佐助は一瞬の早技で娘の縄を斬る。
崩れる娘を支えてやり、佐助は周囲を見回した。
皆一物を晒す仮面をつけた男たち。なかなか想像を絶する気持ちの悪さだ。これはさっさと退散するべきだろうと佐助は娘を担ぎ上げる。

「この娘は確に贄として受け取った。この娘が生きている限りこの土地の実りは約束しよう」

多分ね。と付け加えて佐助は娘を抱いたまま飛び上がり夜の闇に溶けて消えた。
ざわめきが耳から遠ざかる。
殺したのがひとりで済んでよかったと、佐助はらしくない苦笑を零して夜を駆けた。


***


村から数里程離れたあたりで佐助は娘を降ろしてやった。
そこでようやく相手が裸であったことを思い出し、佐助は自分の変装用の羽織を渡してやる。
娘はまだ何が起こったのかわからない様子で、目を白黒させながらもそれを受け取った。

「もうじき朝日が昇る。東に進めば別の村が見えてくるからそこに身を寄せな。んじゃーね」
「ま、待って!」
「なに?」

仮面を外して振り返れば、娘はひどく狼狽して佐助の袖を握る。
荒縄のあとの残った手足が震えていて、ひどく痛々しい。

「私も、私も一緒に連れて行ってください、天狐さま」
「・・・えーっと。俺様は土地神でも狐でもなんでもないの。ただの忍であんたを助けたのも気まぐれ。悪いけど、一緒に連れてはいけないの。ごめんね?」

娘を助けてどうするつもりだったんだろうと自問する。
答えなんてない。
幼馴染に少し似ていた。それだけだ。
この娘を助けたって、あの時の幼馴染は救えないままだ。

「じゃあ、せめて名前を教えてください。私、って言います」

の強い眼差しはやはりかすがを連想させた。
あとほんの少し、幸村にも似ている。
勝てないふたりに似ているなんて卑怯な目だ。佐助は根負けするとやれやれと肩を竦めた。

「猿飛佐助、俺様の名前だよ」
「佐助さま・・・」

うっとりと呟くがおかしくて、腹の底がこそばゆい。
居心地の悪い佐助など知る由もないは、主と幼馴染を混ぜ合わせたような笑みで佐助の両手を取った。

「この御恩はこの身でお返しします!だから、どうか私を佐助さまのお嫁さんにしてください!」

ああ、本当に自分に素直で思ったことを口にする、莫迦で勝手で世情など憚らない口ぶりがひどくおかしくて、佐助は笑う。声を上げて、思わず笑う。

「変な娘だね。いいよ。一緒に連れてってあげる」

細いを抱き寄せて、佐助は甲斐に向けて天翔る。
蒼天疾駆の名は飾りではない。
風を切り走る佐助の耳元に、の「たすけてくれて、ありがとうございます!」と涙で滲んだ、それでも力強く張り上げられた声が届いた。
忍は道具。血も涙もない人形だ。
しかし、たまの気まぐれも悪くないと、佐助はを抱きしめてその場を後にしたのだった。





奇稲田姫