act,2







しゃらんと錫杖を鳴らす。
眼前のすすり泣く女の背が哀れっぽく震えた。

「女、なにを泣くのだ」

錫杖を持つ山伏の問いに、女は振り返ることなくさめざめと泣き続ける。

「私の愚かな罪に泣くのです」

山伏は距離を保ったまままた尋ねる。

「一体どんな罪なのだ?」

女の声は涙に濡れたまま答えを返す。

「愛しい人を殺そうとしたのです」

女はその場に泣き崩れ、物悲しげに言葉を紡ぎ始める。

「私はあるお方を愛していました。世が世なら天下を収める方だったやもしれません。私はあのお方を愛していました。この地へ流刑にされたとて、あのお方さえいれば私にとっては極楽浄土でした」
「その者を、殺そうとしたのか?」

山伏の問いに女は息を詰まらせた。
ああ、とうずくまり呼吸とも嘆きともつかぬ声はひどく惨めて、それでいて艶かしく色香を嗅ぐわせる。

「あのお方が戦地へ行くといったのです。家も主も失ったのに。もう何も残っていなかったなのに。それでも戦へ行くなどと。私はお止めしました。ですがあのお方は聞いてはくださらなかった・・・!!」

長い髪を振り乱す女に、山伏はじっと動かない。女もまた、一歩も動いてはいない。

「私はあのお方を止めようと、屋敷に火を放ちました。あのお方が逃げられぬように。火を放ったのです。しかし、ああしかし。そのお方は火を越えあっという間に戦地に行ってしまったのです」
「・・・酷い男だ」
「いいえ、いいえ。酷いのは私です。あのお方を殺そうとしました。焼き殺し、戦場になど行けぬようにしてやろうとしたのです。ですが、あのお方は炎を纏うお方。火など涼しい風でしかなかったでしょう」

女は声の高さを落とし、それから切なげに吐息を零す。

「久しい人の声だからでしょうか。あなた様のお声はあのお方に大変よく似ていらっしゃる。どうか、もっと近くへ来てくださいませ・・・どうか、お情けを」

甘く瑞々しい果実のような女の声に、山伏は吸い寄せられるように一歩また一歩と歩み寄る。
長くたゆたう女の黒髪はその表情を隠していたが、赤く熟れた唇と、そこから覗く舌との色がひどく女を際立たせた。

「お情けを。どうか、たった一度でよいのです」

そしてあと一歩で女に手が届く距離になっただろうか、女は突然その身を捻じり、山伏に向かって襲いかかった。
女の胴は長く、足はなく青緑に光り輝く鱗に覆われた蛇の尾となっていた。

「あっ」

ふっと洩れたようなそんな声だった。
だが山伏は躊躇する様子もなく、驚くほどの速さで錫杖を振る。突き出した錫杖は狂いなく女の胸の真ん中を貫いた。
それを引き抜くと同時に、おびただしい量の血が吹き出しあたりを真っ赤に染める。
鼻が曲がりそうな匂いだ。淀み腐った血は泥のよう。すぐに黒く変色してじゅうじゅうと音を立てて地面を腐らせた。

「すまぬ、

まっすぐに女を見つめる山伏に、女の濁った瞳に涙が溜まる。

「ゆ、き、むら、さ、ま」
「このような姿になり、人を食らい、そうしてまで某の帰りを待っていたのか」

人が消える山の噂を、幸村が聞いたのはつい最近だった。
それは一度死んでからもう百年は立つだろう。懐かしいその地に何があったのかを知っているのはおそらく幸村だけだった。
そこにあったのは小さな館だ。と、幸村と、ほんのわずかの小間使いたちとが暮らした小さな館。
は焼け尽きた屋敷の中で、ずっと、たった一人で幸村の帰りを待っていたのだ。

「おかえりなさいませ・・・幸村様・・・」
「うむ、いま戻ったぞ。

柔く微笑むの頬を、小さな滴が一筋流れる。
抱きしめれば細い体から肉が腐り落ち、あっという間に骨の躯が露わになる。美しい面影はもうそこにはなく、の魂はすでにそこから離れてしまった。
塩のように崩れる骨は、風に飛ばされ宙を舞う。
両手の拳の中に残った僅かな骨に、幸村はきつく歯を食いしばった。

「永く一人にさせてすまなかった。。此度は一人にはさせぬぞ。俺もすぐ、そちらに向かおう」

そうして火を放つ。
悔いも、覚悟も、物心がついた時にしておいた。
幸村はただ、ようやく会えた愛しい者の最後の一握りを飲み干して、己の体に火を纏わせた。

「すぐ、また会えようぞ。





安珍清姫