act,1







奥州には神風が吹く。
そう実しやかに囁かれる度に伊達の勝利が響き渡った。
若き英傑伊達政宗。彼が冬の女神の寵愛を受けているという噂するものは少なくない。
敵地に雨を、雪を。それは風と共に豪雨豪雪となり雷を呼び寄せる。出来すぎた話だ。
だが戦場に生きる者は皆知っているのだ。それが本当に起きることなのだと。
おかげで度重なる戦でも伊達軍の損害は少ない。

戦後処理の書状を書き終えた政宗は、悠々とした足取りで部屋を抜け出し馬に跨る。
ようやっとの解放である。鼻歌まじりに出かけようとした政宗は、丁度用事を言いつけておいた小十郎と鉢合わしてしまった。
その鬼が口を開けて説教を始める前に、政宗は手土産の金平糖の包みを小十郎に突きつける。

「女神の所に行ってくる」

こればかりは小十郎も止められない。
女神のおかげで挙げられた戦果は確かなのだ。
小言の為に開けかけた口からは、代わりにため息が漏れる。

「・・・くれぐれも、失礼の無いようにお願い致しますぞ」
「all right」

小十郎の溜息に見送られ、政宗は単騎城を飛び出した。

***

冬の女神、姫の社は深い山奥にある。
愛馬に無理を頼み、この山を登るのももう何度目だろう。
政宗は女神の助けを得るたび足繁くこの社に通っている。そうして鳥居をくぐれば、すぐに懐かしい声が届く。

「まぁ!政宗公。またおいでになりましたか」
「Yes,悪いが女神の所まで通してもらえるか?」
「まったく。何度も男子禁制といってもお聞きにならないのですから!」

顔馴染の若い巫女は頬を膨らませつつも政宗を通す。
他の男ならば門前払いが定石だ。政宗は礼の駄賃代わりに小さいほうの金平糖の包みを掌にのせてやった。

「子供扱いして!」

とひとつむくれ、それでも笑ってそれを受け取る若い巫女。
多少人里に降りることがあったとしても、砂糖菓子など手に入るはずがない。第一砂糖は高価なものだし、巫女たちは質素倹約。政宗が贈るもの以外口にした事もないだろう。
政宗を社の中に通すのは女神の願いによる暗黙の了解であった。小さな賄賂もあるのだが、国としてこの社を守っている限り他言は無用。
皆素直に奥州王に礼をして道を開けた。

姫様、伊達政宗公がおいでになりました」
「はい」

短い返事だった。
氷った木の枝が折れてしまうような、切なくもはっきりとした声だった。
御簾の向こうの人影に、若い巫女は頭を下げて部屋を出る。
二人きりの部屋は、冬そのものの寒さがあった。爪先までじんと痺れ、吐く息は白く身を染めている。

姫殿、此度もまた伊達軍勝利へ導きいただき、誠にありがたく申し上げる」
「かまいません。我が神の領地を守ったに過ぎないことです。礼は私ではなく我が神に」
「・・・やめだ」
「え?」

毎回同じ賛辞と麗句だ。
政宗はずかずかと御簾に近寄り乱暴に取り払う。
悲鳴は先ほどより甲高く、実に少女らしい声だった。

「久しぶりだな、姫」
「いやっ!政宗公!御簾を戻してください!!」
「ah?なんでだよ」
「はっ、恥ずかしいからです!」

そう真っ赤になった姫の顔は今にも火が出そうな程だった。
北育ちの処女雪の白い肌が、羞恥に真っ赤に染まる様はひどく愛おしい。

「そういうなよ。こうして会えたのは久しぶりじゃねぇか」

姫の傍に座り御簾を下ろす。
部屋全体よりもうんと狭くなった空間にふたりきり。

「元気にしてたか?」
「・・・はい」

緊張に震える姫は顔を赤くしたまま涙目になっている。
体の震えは止まらず心臓は今にも張り裂けてしまいそうに煩い。
彼女は数十年、父以外の男を見たことがない。
それもおぼろげな記憶だ。顔さえも正しく思い出せない。
女ばかりの社の中で、異性との吐息がかかる程の近い距離など想像を絶するものだった。
それを知っている政宗はわざとらしく姫の腰を抱いてさらに距離を詰める。
心音が聞かれてしまう。そうギュッと目を閉じ両手を胸の前で握りしめれば、政宗は存外優しい声で姫の名前を呼んだ。

「助かった。本当に・・・何度も助けられてるな」

吐息混じりの声が、言葉が、羽のように姫の心を撫でる。
心地よくてくすぐったい。愛おしくてたまらない。

「ごめんなさいっ・・・本当はいけないことなのに」
「why?」
「あまり贔屓すると、神様が怒るもの」

冬の女神は冬の神の神仕である。
身も心も捧げている以上、間違いはあってはならない。
情を交じわすなど許されない。

「神様ってやつも、案外器が小せぇな」

思わず洩れた苦笑に姫もまた困ったように苦笑を返す。
政宗は腰に回していた腕を放す代わりに、そっと手を重ねる。
驚いたように姫の指先が震え、撫でる様にして力を奪いそっと絡めて繋ぎ合わす。
姫は観念したように、ひとつ吐息をこぼして他には何も言わなかった。

「ここは、寒いな」
「冬の神の社ですもの」

寄り添いそっと熱を分け合うように、政宗と姫は子供のように手を繋いで肩を合わせる。
触れ合う指先から、お互いの心が沁みわたる。
好いていると、慕っていると。伝えられない熱が冬の寒さに奪われていく。
それはひどく物悲しかった。
小さな子窓の外では、また雪が降り始めていた。
綿毛のように軽やかに、ゆったりと降り降る雪はまるで別世界のように映し出される。
喧騒も人気も暖かさもない。美しくて冷たい世界だ。
吐き出す息は白く、体は思ったよりずっと冷えていた。

「静かだな・・・ここは。静か過ぎるくらいだ」
「今日は、そうでもないですよ」

隣で肩を寄せる姫が、そっと囁くような小さな声で答えて笑った。
御簾に隠された小さな密室。
ゆっくりと降り積もる雪は時間の流れに逆らうような錯覚を思わせた。
その景色を、記憶に刻みつけるようにこの許されたわずかの時間のすべてを、熱を、姫の微笑を。
政宗はただ、静かに抱きしめた。






白姫