act,9







ああ、君が竹千代だね。
私は。いと高き天の御座におわします主より遣わされたものだ。
竹千代。君は天下を統べなさい。
なにも難しいことはない。
君は己の心が望むままに生き、感じるままに進みなさい。

東照権現。

君は東より上る天の光となりこの国を照らしなさい。
それが主の願いです。

光を溢す翼は六つの対。
十二の白い羽は日の光が透けて眩しかった。
あまりの神々しさに息を飲む。ごくり。

「わ、わしは家康だ」
「なんだ。もう元服してたか」

あっけらかんと言い放つは姿に似合わずちぐはぐだった。
これがと家康の初対面。
異国の衣のような衣服に身を包むは美しい女だった。
家康は心が望むままにに側にいて欲しいと懇願すると、あの日以来はずっと家康の側にいてくれている。

徳川家康に過ぎ足るもの。
本田忠勝と天女
そう言われ幾数年、家康は正しく一国の主、一軍の将として成長していった。
しかしは、あの出会いから寸分も変わってはいない。


「なんだ家康」

は不遜な様子で家康に相槌を打つ。
今や家康に砕けた様子で接してくれるのはと政宗ただふたりだ。
家康は心が望むままに生きてきた。
己を信じ進んだが、たくさんのものを失った。
三成、元親。
ふたりの友を、家康は失った。

「泣いているのか?」
「泣いてはおらん」
「泣きじゃくる子供はみんなそう言うものだ」

家康は確かに泣いてはいなかった。
しかしは構わず腕を伸ばす。
白魚のような細い指先。
捕らわれれば抗えない。家康はの腕に誘われ、の胸元に顔を埋める。
花と甘露の香りがする。
は天に住まうもの、まさしく天女だった。
胸一杯に甘い香りを吸い込めば、どうしようもなく泣きたくなる。

「よしよし」

よく知りもしない母を真似るようにの声音は慈悲深く暖かい。
瞼を閉じれば、涙が滲んだ。

「ワシわ、ワシは間違っていたかもしれない。秀吉殿を殺さなければ、豊臣にかしずかなければ、天下なぞ望まなければ、もっと、違う、未来があったろう。三成を失わずに済んだだろう。元親と対立せず済んだだろう。皆と笑い合う未来があっただろう」

家康の声はひどく小さく弱かった。

「私はたらればは嫌いだ」
「・・・」
「主は風のように、見えずとも常に我らの側にいらっしゃる。主はお前の行い認め、その身を守った。主はこの世界を愛してお前を許すでしょう。権現」
「ワシは、その名は嫌いだ」
「権現、見なさい」

は家康の手を取り天守閣に向かう。
見渡す城下は広く賑わい、は取り出した望遠鏡を家康に投げて寄越した。
丸い筒を覗き込めば、賑やかに商いをする商人。笑い合う女たち、駆け回る子供たちの姿が眼前に映る。

「泣いているものはいるか?」
「いいや」
「嘆いているものはいるか?」
「・・・いいや」
「怒り狂うものはいるか?」
「・・・、いいや」

「ではこの太平の世に何が不満なんだ?」

わからない、と肩で息を吐くの気配を感じながら家康は望遠鏡から目を離さなかった。
かの山には友の質素な隠れ墓があるだろう。
かの海には友の愛した船が沈んでいるだろう。
家康は二人の友を失い、国を、和平を得た。
もっと多くを失い、多くを得た。
将は大局を見なければならない。
先を見通してこその統治者だ。
幼い頃からそう教わり育った。
家康は心が思うままに生きてきた。
それでも、これほどまでに胸が痛い。
家康は、教本通りの統治者にはなれなかったのだ。

には、わからんだろうなぁ・・・」
「わからんよ、私の心は主で満ちている。たかが二つの子を失った程度で、私の心は揺らがない。家康、君は主に認められこの国の主となったのだ。君も主の御心のままに生きればいい。主は常に信ずるものらの傍にいらっしゃられる」
「そうだな・・・」

は人間ではなかった。
見えざる神を信仰し、人間とは違う理、違う概念、違う世界を生きていた。
人の世は狭い。神の国とは違うのだ。
そして家康は、人間だ。
人の数存在する想いを、絆を、ただの点と線のようには捉えられない。

、わしは今、友を亡くし悲嘆にくれている・・・お前は、ワシが死んだら嘆いてくれるか?」

望遠鏡から目を離し、隣に佇むへ視線を向けた。
手摺に腰を掛け、六つの対の翼を広げるその姿は神々しく眩しかった。
十二の白い羽を持つ高位たる神の代行者は笑う。
無慈悲に、無関心に、世の理を外れた世界からこの世を見下ろす。

「まさか、君の死は主により運命付けられているのだから。私は嘆いたりしない。それに君は死したとしても、必ずや主の御座に招かれるだろう。我々はまた、主の御手により巡り合う」

死の概念を持たない。
それが神に近づくということなのならば、なんて悲しいことだろう。

「ワシはいずれ、神になるのか」
「そうさ、君は東照権現。東より上る天の光」

生きながらに死んで行く。
それはとても悲しい。

、わしが心が望むままに願えば、お前は叶えてくれるか?」
「主の御心のままに」

ただひとつ救いがあるならば、が、変わらず隣にいてくれることかもしれない。






かくありき