act,6







「んが」

右手の中で震えるケータイのバイブレーションで目が覚めた。
目覚ましを切ろうとした指をはたと止める。着信だった。寝起きの頭で電話を取ると、受話器の向こうでの声が震えていた。

『もとちかっ・・・わたし、・・・』
?どうかしたのか?」
『元親・・・今、話せる?すぐ近くまで来てる』
「ん、おう。着替えてまってるわ」

通話が終わると顔を洗い、服を着替えてを待った。
と元親は幼馴染で、幼いころからずっとお互いの家を行き来して育った中だ。思春期はまだ盛りの二人だが未だに兄妹の様な感覚である。
暫くしてインターホンも鳴らさずきがが上がりこむ。
珍しいと出迎えようとしたとき、は元親の胸に飛びついた。

?」
「元親・・・どうしよう、わたし、わたし・・・」
「おいおい、どうしたってんだ?」

あおさめ震えるの頭を撫でる。元親は普段ないの狼狽ぶりに首をひねる。そして季節外れのコートの下で、背中が大きく膨れ上がってることに気が付いた。

「わたし・・・羽根が・・・羽根が生えちゃったの」
「羽根・・・が?」

突発性羽翼発芽症候群。
病とも知れぬその症状はそう呼ばれる以外一般人は何も知らない。
ただ羽根が生えた人間は政府に保護され、そのあとはどうなるかも分かってはいない。
家族から引き離され、隔離病棟に入れられるという噂がある。
が重苦しいコートを脱げば、穴のあいた服から白い二対の羽根が顔を出した。
掌ほどの小さな羽根だ。
元親は思わず指先でそれを引っ張った。

「いた、痛い!」
「痛覚はあるのか・・・」

間抜けなことを言って現実逃避しようとしているのは冷めた思考で理解していた。信じられなかったのだ。羽根が生えている。はいなくなってしまう。

「お、お父さんと、お母さんが・・・病院に電話してた。わたし。多分もう帰ってこれなくなるから」
「・・・そんな、ただの検査だろ・・・?」
「でも帰ってこれないって噂じゃん!!」

しん、と重苦しい沈黙がふたりを押し潰す。この病が一体何なのか、どう調べたってわからないのだ。
震えるの肩を、元親はやわく引寄せて抱く。は泣いていた。

「やだ・・・わたし・・・元親と離れたくないっ・・・」
「・・・逃げよう」

口をついて出た言葉はどこか幼くて、刹那的で暴力的だった。

「遠くに逃げちまおう」

当てもなく、終わりもないだろう。
しかし、は言葉もなく頷いていた。

手持ちのリュックに穴をあけてに背負わせて羽根を隠した。
携帯電話と財布と通帳と少しの服と食料を詰めて家を出る。電車を何度も乗り継いで名前も知らない地名の土地に降りた。
の携帯電話には家や親からひっきりなしに連絡が入った。すぐに戻れとのことだったが、元親もも聞かなかった。携帯電話は途中で捨てた。
はじめて来た場所に不安がるの手を握れば、すり寄るように身を寄せるをどうしても守らなければと思う。
だが、一体何から守るのだろう。
政府は何故この病のことを隠すのだろう。テレビも、ネットも、碌な情報を寄こしはしない。
日はすっかり暮れ、宿を探すため仕方なくふたりは都市部に向かいながら道路脇を歩く。
街灯の少ない夜道で空を見上げれば、満天とは言えないが星がきらめいている。
一つ一つ指差しては星座を挙げてみた。元親はわからなかったが、の声がひどく耳に沁み込んで心地よかった。
一日中歩き通しで、なんだかようやく少しだけ落ち着く。

「あっ」
「おい、大丈夫か?歩き詰めで疲れちまったか・・」
「ううん、大丈夫、ちょっと眩暈がしただけ。ずっと上向いてたからかな」
「そうかもな」

ふらついたの体を支えてやる。なんだかずしりと重みを感じて、疲れたのだろう、早く休ませてやりたいと元親の心は逸った。
羽根が一体何なのかわからないが、元親にとってが大切な幼馴染なのは違えようがない。
は、元親にとって、大切な大切な、女の子だった。

突如、道路の向こうからライトが照らされる。車のライトよりも随分強い。まるで舞台用のスポットライトだ。熱を帯びた光源にふたりは立ち尽くす。
元親はを背に隠し、もう片方の腕を上げて影を作った。逆光で相手は見えない。だが、車が二台ほど見える。

「元親!」

が背を引っ張り振り返れば後ろにも同じようなライトが照らされていた。

「なんだってんだ!?」

新手の観光歓迎と思いたいが、もちろんそんなはずもない。
車から飛び出してきたのは数人の白衣を着た男たちと迷彩服の男たちだった。
自衛隊?と呟く間に、ふたりはあっさりと囲まれ、元親はの腰を抱きとめ様子を窺った。

「こちらB-9.目標を確認しました。はい。直ちに移送します」
「おいおい、一体なんだってんだ!」

しかし元親に応えるものはなく、大人数の男たちは元親とを羽交い絞めにして二人を引き離そうと腕を伸ばす。
ふたりの抵抗はむなしく、あっという間には男たちに浚われ元親は地面に縫いつけられた。

に触るな!!」
「感染はしてるか?」
「反応はない。無事みたいだな」
「何言ってやがる!どけろ!離せ!!から手をどけろ!!」
「元親!元親ぁ!!」

引き離されたは男たちに羽交い絞めにされ、そして背中のリュックを乱暴に引き剥がされた。
晒された羽根は恐怖におびえるように羽ばたいている。
大きさはの背を一面覆う程のサイズになっていた。朝とは随分大きさが違う。

「報告よりも成長している。症状が進行しているな。投薬急げ」
「いやっ・・・なにするの、いや・・・いや!!」

白衣の男たちがを囲む。そうして取り出された注射器の中はグロテスクな色の液体に満ちていて、の表情は夜でもはっきり分かるほど薄く青ざめた。
元親はやめろと噛みつくように吠え、必死に体を捻ってもがけばどこからか飛んできた拳に殴られた。血の味が広がる。が悲鳴を上げ、顔を上げた時には訳の変わらない注射器がの首筋に打ちこまれていた。

!!畜生!!離しやがれ!!!!」

そして元親の目の前ではぶるぶると痙攣を始める。痛々しい悲鳴を垂れ流し、目の焦点はあっていない。名前を呼んでも答えはしない、は髪を振り乱して苦痛に呻いた。男四人がかりで押さえつける中、の羽根が悶えるように大きく羽ばたき震えていた。
恐怖を感じた。
息が詰まり、声が詰まり、目も閉じられず、動けず、叫べず、元親は、ただ、を見ていた。

「も・・・・と、・・・・ちか」

一瞬灯った理性の光が、の口から元親の名を呼ぶ。
元親は答えられなかった。瞬間、は血を吐いてくたりと体をくの字に曲げてピクリとも動かなくなった。

「・・・・・・?」

男たちがの体を担ぎあげ車に乗せようと遠ざかっていく。
数瞬遅れて元親もがいた。離せと叫んだ。が呼んでいたのだ。行かなくては。それなのに自衛隊はどけてくれないし白衣たちは待ってくれないし車のドアが開けられエンジン音が夜に響く。

!!」

投げだされた細い手足は死んだように力なく揺れている。
の体が車に収容され、元親は喉が裂ける程に吼えるように叫んだ。

!!!!」

車が走り出す。行かなくては。逃げようと誘ったのは自分だった。元親は男では女で、元親はを守ってやらなくてはならない、そうだろう。を一人にはできない。
元親の上に覆いかぶさる男たちが何か言っている。
元親はただただと離れたくなかっただけだった。
が好きで、ずっと一緒で、それからこれからもずっと一緒だと思ってた。
ただそれだけで
































「んが」

右手の中で震える携帯電話のバイブレーションで目が覚めた。
目覚ましを切ろうとした指をはたと止める。着信だった。寝起きの頭で電話を取ると、受話器の向こうで佐助の声が響いていた。

『もしもし?ちかちゃんおはよー。あのさ、大将と旦那と行ったこの間旅行のお土産あるんだ。今から持っていくけどいい?』
「あ?あー・・・」

寝起きの体を起こし、首筋を描こうとしてふと左手にあるものに目が言った。

『元親ー?』
「悪い、今日ちょっと調子悪いから今度な」
『ふーん?じゃあわかった』

通話が切れ、元親は携帯電話をベッドに放り投げ左手の拳をゆっくり開く。

「羽根・・・?」

白い、鳩くらいの鳥の羽だろうか。
一体どこから?
開いていた窓を見上げながら、元親は何故だか無性に泣きだしそうになった。

「なんか、大切なこと忘れちまった気がするなぁ」






ラストデイ