日本と言う国は、古来より東洋の神秘と名高く中国と並んで歴史の深い国だ。
その歴史には及ばすとも、長い年月を過ごし共に歩みを進め、姉妹国家などと呼ばれる我が国の王族である私が日本を訪れることは何らおかしいことはなかった。
何百年も昔から続く同盟だ。
歴史上最長とされるふたつの国の同盟。
今更国交など、馬鹿らしい。

「最悪」
「あ、お姫様なんか言った?」

短い母国語で言葉を溢せば、隣に座る若い男が日本語で問う。
来日の際に日本側が寄越したSPだ。
片や黒服にオレンジ色の頭の軽薄な男。片や黒服に赤色の頭の根暗な男。
日本政府によれば最高のSPらしいが、どこをどうとればそうなるのだろう?
こちらの国の言葉も知らないへらへらと笑う男と表情筋ひとつ動かない人形のような男。
私だって読み書きくらいは覚えてきた。
リスニングは難しいが読み書きで日本語会話ができるのに!
日本側はいまいち配慮が足らない。
まぁ、古すぎる仲だ。風化したふたつの国の関係などとうに忘れられていてもおかしくないのだろう。

「あーあ、早く帰りたい」

背筋を伸ばしたままそう溢せば、両側の男は困ったように眉を下げた。

「小太郎、お姫様なんていってるかわかる?」
「・・・」
「顔色悪いから車酔いかな?」
「・・・」
「あ!小太郎あれあげなよ!」
「・・・!」

ぽん!と右の拳で左手を叩くというなんだか昭和の臭いがするリアクションをした赤いのが、ふいに私の手を取ってなにかを握らせる。

「なに?」

問えば男は少し考えてから私の手のひらにドライフルーツと英語で綴った。
意図はよくわからないが、食べろと言うことだろうか。
日本文化は奥が深い。
見たことのない乾燥果実をビニールから取り出すと、ふたりははやくと急かすように私を見る。
さすがに毒ではないだろう。
やれやれと肩を竦めて私はそれを口に放り込む。
砂糖がまぶされているのか、少し甘い。が

「すっっっっぱい!?なにこれっ!信じられない!」

体験したことのない味に口の中が痺れる。
SPたちは「元気になった?」と日本語でけらけらと笑っていたので殺意が沸いたのは言うまでもない。

***

それから来日会見を済ませるのだが、カメラのフラッシュが目を焼いた。
不躾な行動には腹がたったが、この程度で喚き散らしては王族の権威は地に落ちる。
この国の天皇を見習い、私は柔らかく微笑み控えめに手を降った。

「あー疲れたもう嫌日本なんか嫌い!」
「おや凪、あんなに日本を楽しみにしてたのにかい?」

父の砕けた笑みに私は乱暴に椅子に座り込む。
硬い。自室のソファが恋しかった。

「だってここは空気は不味いし人混みだらけだし空は狭いしマスコミは失礼だし!私が来たかった日本じゃない!」
「まぁ京都は首都じゃないからねぇ。次の機会に行こうか」
「それに!さっき移動の車の中で変なものを食べさせられたわ!なんだか、甘くて、酸っぱくて、とにかく変なもの!」

思い出すだけで口の中に唾液が広がる。
私はあの味を忘れようと近くのペットボトルの水を飲み干した。

「ああ。干し梅だね!美味しかったじゃないか、私も北条氏に袋ごともらったよ!お土産にくださるなんていい御仁だ!」

にこにこと子供のように笑う父に私はこれ以上いっても無駄だと頭を抱えた。
日本滞在はあと2日。
なんとかなるだろうと私はすべて諦めることにした。

***

翌日は天皇陛下と首相と対談し、翌翌日はチャリティーの参加。
SPが煩い以外は特に問題もなくスケジュールをこなす。
だいたい、我が国はこんな仰々しい護衛を付けられねばならないほど世界政治とは関わりないはずだ。
それなのに日本側の過剰な防衛。
私はなにも気づかなかった。馬鹿だ。
それと、思ったよりも日本にこられることに浮かれていたみたいだ。

移動中のハイウェイ。
海を跨ぐ大きな橋は映画でも使われた場所だ。
真夏を思わす照る太陽に、きらきらと光を反射させる湖面。
黒塗りのベンツの中は心地よい空調が肌を撫でた。

「空気は汚いけど、海はきれいね」

窓に手を触れ、ぽつりと呟けば、オレンジの男が何を見ているのかと私の後ろから身を乗り出す。
視線の先の海を見て、それから座席に座り直そうとした瞬間、男の腕が私の肩を引っ付かんだ。

「痛っ!?」
「ルートC!!」

オレンジの声に赤が反応する。
次の瞬間なにが起きたのかよくわからなかった。
痛み、金属の悲鳴、ぬるい風と光と爆音。
私はオレンジの男に抱きすくめられ、世界が割れるのを見た気がした。

「王女だな。間違いない」

誰かの声がして、うまく目が開けられなかった。
痛い。
車内にいたはずなのに、外にいる。
誰かが私の腕を掴みあげていた。聞きなれない声の英語。誰?

「その手、離してもらおうかな?」

低い音が鼓膜を揺さぶる。
黒い風が脇を駆け抜け、腕の拘束が解かれると誰かが背後から抱きとめてくれた。

「大丈夫?お姫様」

緩やかな、日暮れのような笑み。
すすの付いた頬にかかったオレンジ色の髪。

「佐助、さん」
「小太郎!!」

私の腕を掴んでいた男を押さえつけるにしていた赤い髪が揺れる。
頷いたらしい。
そのまま男を殴りつけ、気絶したのを確認して男の懐から拳銃を取り上げた。

「なにっ・・・なんなの!?」

私は訳がわからずオレンジ、以下佐助にすがりついた。
その間に赤、以下小太郎が佐助に拳銃を投げてよこし、佐助は私を抱き上げて倒れたれていた黒塗りのベンツの影に伏せる。

「まっさか太陽にかぶって攻撃してくるとかねー。映画の見過ぎだってーの」

拳銃の安全装置をはずしながら佐助がぼやく、なんていったかはわからなかった。
しかし、自分たちが襲われたのはわかった。

「どうしてっ・・・いったい誰が?ねぇ!父は無事なの!?」
「ちょっとお姫様落ち着いて、」
「訳がわからない!!英国なの?米国なの!?どうしてっ・・・こんなっ!!」
「大丈夫だから、ね?」

異国語で会話する私たちは酷く滑稽だっただろう。
そんな中銃声が響く。
私は恐怖に身をすくめた瞬間、佐助は「小太郎!」と叫んで車体から身を乗り出し援護射撃を始めた。
敵が誰で、何人いて、わからない。小太郎は無事か、自分は助かるのか、わからない。
父は、ほかの人は、わからない。

「こわいっ・・・!!」

銃声と鉄の焼けるにおい、ぬるい風が肺に溜まる。
私は溜まらず自分の肩を掻き抱いた。

「お姫様、」

ふわり、と何かが私の上にかぶさる。

「大丈夫、俺様が絶対、守るから」

顔をあげると、暗い世界。漏れる光がまぶしかった。
自分のジャケットをかぶせた佐助が、日本語で私に何かを言った。
私は彼がなんといったのかわからなかった。でも、少しだけ恐怖が和らいだ気がした。

「隠れてて、体を低く。そう、いい子だね」

佐助は私の頭にぽんと掌を乗せ、風になった。
銃弾が飛び交う戦場に飛び出し、銃弾が空になった拳銃を投げて敵の拳銃を弾く。
敵は、5人。

「小太郎!お待たせ!」

人間とは思えない軽い身のこなしで戦場をかけた佐助はかがんだ小太郎の背中を軸にして敵をけりつける。
はっきり聞こえる骨の折れた音。顎だ。死んでしまわないだろうか?
そんな私の心配を露知らず、そのまま倒れ伏せた敵の腹部に膝を落とし、完全に沈黙してから銃を取り上げた。
佐助はそれを敵に向かって撃ち放ち、その弾を追うようにして小太郎が肉薄する。
袖口に見えた煌き。仕込み刀か。「忍者だ」私は思わずつぶやく。
小太郎はその長い手足で敵を撃ち、倒れたところを佐助が射撃で武器を弾く。
けれども敵もまた体を使って反撃してくる。
殴りかかってこようとする敵を小太郎は風のようにふわりとかいくぐり、背後から手刀を入れて敵を沈めた。

「小太郎かぁーっこいー!」

間延びした佐助の声が間抜けに響き、飄々とした態度のまま佐助は襲い掛かってくる敵の腹部を重心を低くした体勢で銃のグリップで殴りつける。
痛みに呻いた男にそのまま下から上段蹴りを繰り出した佐助は、硝煙があがってもない拳銃の先にふぅと気障に呼吸を吐きつけた。
残り2人。

「ささっと片付けますか」

笑う佐助は小太郎の隣に並び、二人一斉に駆け出す。
小太郎は敵の懐に飛び込み胸に掌底を打ち込み、仰け反る男の顔に回し蹴りを入れ、肩や佐助は小太郎に気を取られた敵の目の前で高く飛び上がり、渾身の力を拳銃に乗せて男の頭部を強打した。
敵が倒れたのは、ほぼ同時だった。

佐助はふぅ、とまるでデスクワークを済ませた直後のようにネクタイを緩め、小太郎も
軽く首を鳴らしてまるで何事もなかったかのように私のほうに歩み寄る。

「お姫様、大丈夫だった?」

少しすす汚れているものの、佐助も、小太郎と、初めて会ったときと同じように柔らかく笑っていた。
私は溜まらす、二人に抱きついてないてしまった。
二人は困っていたけれど、救援が来るまでずっと私の背を撫でてくれていた。
彼らは確かに、最高のSPだったのかもしれない。

***

最初の爆発で車からはじき出された私だったが、最初に佐助に庇われたおかげでたいした怪我はなく、擦り傷が2箇所ほどあるくらいの軽症だった。
先を走っていた車の父も、日本のSPに守られ無傷であった。
日本の病院で診察を受けた私は、父に一言告げて佐助と小太郎の病室に向かった。
二人無傷に見えたが、切り傷打ち身銃でも撃たれたと聞いて気が気ではなかったのだ。

「失礼します」

ノックをして部屋に入ると美しい金髪の女が立っていた。

「凪様、いったい何用でしょうか?」

彼女は流暢に私の国の言葉を話し、小太郎や佐助と同じ黒いスーツを着ていた。
同じSPなのだろう。私はすぐに彼女のそばに駆け寄った。

「あの、小太郎と佐助の容態は?」
「大事ありません」
「あ、お姫様だー」
「ばっ!!貴様!慣れなれしいぞっ!」

彼女は日本語で佐助をたしなめたようだったが、佐助は気にせずへらへらしている。
佐助も小太郎も、白い包帯が目立ったが元気なようで私は胸を撫で下ろした。

「あの、貴女の名前は」
「かすがと申します」
「ではかすがさん、小太郎と佐助に通訳をお願いできますか?」

私の問いにかすがは快く受け入れてくれた。
どうぞ、と短く私を促すので、私は佐助と小太郎に向き合った。

「佐助、小太郎。この度の件は本当ににありがとう。私はあなたたちに命を救われました。何度お礼を言っても足りないくらいです。本当にありがとう」
「やだなぁーそんなに畏まらないでよ、お姫様」

かすがの通訳に佐助はへらへらと答え、それをまたかすがが訳する。
少し時間がかかるが、言葉を解読するような間はなんとなく心地よい。

「あと数時間すれば、私は帰国の途に着きます。名残惜しいですが、日本ともお別れです。二人とも体を大事にして、しっかり養生してください」
「はぁい」
「・・・」

佐助と小太郎は二人同時に返事と頷きを返す。
本当に息の合った二人だ。かすがもそれを見て呆れているようだった。

「それで・・・その・・・今回はあんな事件もあったし、滞在時間も短く余りゆっくりと日本にいられませんでした。また、次の機会があれば・・・その、護衛を、お願いできますか?」

命の危険をさらしてしまったのに、こんな願いでをするのは正直勇気が必要だった。
でも、言葉が通じない私を楽しませようとたくさん笑いかけてくれた佐助や小太郎は嫌いに離れなかった。
それに、命をかけて守ってくれた。
二人は、信用に足るSPだったから。

「うん、もちろんいいよ。ね、小太郎」

佐助は変わらず笑い、小太郎も少し笑いながら頷く。
はにかんだ様な笑みが暖かくて、私も嬉しくなって笑ってしまった。

「ねぇ、お姫様の名前、日本語でどんな発音なの?」
「私の名前は、凪です」

異国後の音と、日本語の音が交わる。
互い耳慣れない不思議な響き。

「凪ちゃんか、きれいな名前だね」
「・・・ありがとう」

名前を褒められるなんて、社交辞令もいいところだ。
それなのに、何故だか顔が赤くなって仕方がない。
気恥ずかしさに俯けば、部屋の外から父の呼び声が聞こえた。

「それじゃあ、佐助、小太郎。それにかすがさん。ほんとうにありがとう」
「空港まで後れなくてごめんね、凪ちゃん。また日本に来てね。小太郎と待ってるから。ね」

佐助は小太郎と視線を合わせ、小太郎もうんうんと何度も頷く。

「またね、凪ちゃん」

またね、その言葉が淡いぬくもりを持って胸に灯る。
心地よい熱を抱いて、凪は後ろ髪を引かれるような思いで病室を出た。

「凪、そろそろ空港に向かおうか」
「はい」

王室公務もある身分だ、次、いつ日本を訪れられるかわからない。
それでも、次の約束に胸が躍った。

「父上、あれ、ひとつください」
「あれ?」
「干し梅、ください」

甘酸っぱいあの味が、今の気持ちにぴったりだ。
父は楽しそうに笑って、私に右手に干し梅のビニールをひとつ握らせてくれた。

「帰ろうか」
「はい、また、来れますよね」

私の問いかけに、父は干し梅の入ったビニールを揺らして笑う。

「もちろんだよ、凪」

父の声に、佐助の「またね」という声が重なる。
二つの暖かな笑みに、私は自然とこぼれる笑みを耐えられなかった。
また、その言葉を何度も繰り返し、私は日本の地に別れを告げる。
また、その言葉が再び私を呼び寄せる、その日まで。






虹をむすぶ


title by 迷い庭火