「小十郎!!」 最期の一瞬に聞いたのは、政宗のその悲鳴染みた呼び声で。 あの時、小十郎は確かに自らの死を覚悟していた。 「おはようございます、片倉様。お加減いかがですか?」 悪くない。そう答えようとした小十郎の喉は、音を生み出すことはなく、ただ空気が漏れる音がひゅうと鳴るだけであった。 松永弾正久秀との戦い。 かの男の最後の爆発から政宗を身を挺して守った小十郎は、その爆炎に肉を焼かれ、衝撃に骨を折るなどの負傷した。 全身打撲に骨折多数。数日の昏睡状態の後の奇跡の復活には流石の政宗も数年来の涙を流して小十郎の生還を祝った。 しかし、小十郎は何も答えられなかった。 炎に焼かれ、土煙で痛んだ喉は焼け爛れてろくに使えも出来ない。ともかく言葉を話すことが出来ず、ただただ大人しく政宗の涙交じりの感謝と説教を聴くばかりであった。 ただの炎症であれば治療やなにやらで治せる見込みもあるのだが、こればかりはもう少し様子を見てみなければ医師もなんとも言えない。小十郎は今現在声を失うかもしれないという状況に立たされていたのだった。 だが、小十郎は別段声を失っても苦にならないと考える。 指は十本残っている。足だってしっかりと付いている。刀はまだ握れるし戦場だって駆けられる。怪我が治ればまた立ち、歩き、戦に出る事だって十分可能だ。必要であれば軍議は筆談で行えばいい。 負傷したとはいえ五体満足、主は無事。小十郎は、何一つとして大切なものを失ってはいないのだ。 盛大に散った男を脳裏に浮かべながら、小十郎はざまあみやがれと内心死んでいった男をせせら笑った。 「何か楽しいことでもありましたか?」 不思議そうに小首をかしげる娘が視界に入り、小十郎は何でもねぇ、と喉を鳴らす。 だがやはり音は出ず、ひゅうひゅうと空気が喉の奥でかさつくだけ。その痛みに小十郎は眉を顰め、それに気付いた娘は少し苦笑してから「喋ってはいけませんよ」とまるで小さな子供を相手にするように小十郎へと注意した。 この娘、いや、まだ少女とも呼べる子供の名はという。 伊達軍に従事する軍医の娘であり、父の右腕とし、今は医師見習いという肩書きでこの米沢城へと登城していた。 身元もはっきりしていて腕もそこそこ立つということで政宗直々に小十郎の世話役を仰せ仕ったらしく、一日とあけずには小十郎の部屋に足を運ぶ。 父親似の真面目な性質から、細やかで丁寧な治療にはなかなか好感が持てた。 「早く直したければ、むやみに喉は使わないでくださいませ。今朝の朝餉のあとのお薬ですが、こちらが化膿止め、こちらは痛み止めです。いつもと同じものですが、父はもう少し様子を見ようとのことでした」 了承の意味を込めて首を縦に振る。 頷き返したはでは、と一声駆けて小十郎の前に膳を運んだ。 膳の上に並ぶのは、赤い梅干しの粥に魚の擂り身。そして柔らかく煮た野菜と豆腐の吸い物。 は小さめのれんげの裏でさらに細かく米を潰すと、粥をひとすくいしふうふうと吐息を掛けて程好く冷まして小十郎の口許に運んだ。 「片倉様、お口を」 言われ小十郎は大人しく口を開く。 最初の頃は恥ずかしさから拒否していたが、右腕は骨折、左腕は捻挫。「どうするおつもりですか?」と呆れたように問われてしまえば何も言えない。結局渋々折れた小十郎はまるで雛鳥さながらにのお世話になるのだった。 そう考えている間にするりと口内に粥が滑り込む。丁度の温さになった粥が、口の中に広がって混ざる塩気と梅干しの酸っぱさがなかなか美味い。 もぐもぐと小さな子供のように大人しく咀嚼する小十郎はゆっくりと噛みごたえの無い米を飲み下す。 必要以上にふやけた米は、どうしようもない程喉にに優しい。毎日の食事は小十郎の喉を思って作られた料理ばかりで、それを作るのも、どうやらこの目の前の少女らしかった。 小十郎が米を飲み込んだのを確認して、は二口目の粥をすくう。 ふうふうと吐息が響き、目前で粥の湯気が揺れて、小十郎はに催促される前に口を開いた。 小十郎が米を噛み砕く間、は魚の身を解し、食べやすいように支度する。丁寧な手付きは、まるで子を持つ母のそれ酷似していた。 そんな中、白い少女だと小十郎は唐突にそう思う。 北育ちとは言え雪そのものの様に白い肌。そして幼さの残る丸い顔立ち。無邪気な子供の大きな瞳と、それを縁取る長い睫毛。 女と呼ぶにはまだ幼く、少女と呼ぶには美し過ぎる。 年の頃はどれ程か。父親の右腕として仕事をこなすあたりそれ程幼いと言うことはないだろうが、柔らかな声や笑みは小さな子供のものに近い。 美しいと同時に愛らしい。思わず漏れた笑みに、は不思議そうに小十郎を見ていた。 「片倉様?」 ことりと細い首が傾げられる。 小十郎はなんでもない風を装って首を横に振り、再び食事の再開を促した。 一体何を考えていたんだと内心で溜め息を吐く。 やはりやることがないと言うのはどうにも辛い。 暇を持て余し下らない思考に没頭してしまう。 やれやれと己に呆れる小十郎は、柔らかく解れた魚を飲み下した。 そうして黙々と進んだ食事もそろそろ終わりにと差し掛かる。暫くして空になった膳にを見つめては満足げに微笑み、初めに用意した薬を膳に並べた。 だがしかしすぐに湯飲みを忘れたことに気づくと、は困ったように笑い小十郎の方を見やった。 「申し訳ありません片倉様、湯飲みを忘れたみたいなので暫しお待ちください」 了承の意味を込めて頷く。はほっとしたようにひとつ笑って立ち上がり、小十郎の方に背を向ける。 その後ろ姿に、小十郎ははっとした。 は長い黒髪を緩く纏め、片方の肩口に流れている。 夜に浮かぶ月のような白いうなじが浮き彫りになり、そうして頼りないほどに細い首筋が目に付いた。簡単に手折れてしまいそうな腰回りや柔らかそうな形の良い尻、すらりとした細い足首から目が離せない。思わず小十郎はごくりと生唾を飲んだ。 欲情している。 あんな一回り以上歳の離れた、少女としか呼べない子供にだ。 戦の昂りと呼ぶにはおこがましい。松永との戦からは、とうに七日は経っている。女に不十分したことも特にはないし、抱くのは程好く熟れた女が良い。 そのはずなのに、小十郎はあの幼さな滲むの細く未発達の身体に欲情したのだ。 戦の熱と呼ぶには、誤魔化しきれない疼きだった。 が襖の向こうに消えたのを確認するや否や、小十郎は暗澹たる面持ちで溜め息を吐く。 まったくどうかしている。 甲斐甲斐しく世話を焼くのは医師としての領分だ。そんな相手になにを考えているのだ。 第一は良くて年の頃は十四、五だ。そんな娘に、欲情しているなんて。 思わず噛み潰す苦虫に、小十郎はそれ以上溜め息を溢すのを止めて飲み込んだ。ついでに理性と平常心を引き戻し、熱の籠る下半身を諌める。 暫くして廊下の方から足音が聞こえ、が帰ってきてようだった。 「片倉様、お待たせしました」 片手に湯飲み、片手に急須を持ったが部屋に舞い戻る。途端部屋が華やいだような気がしてきて、小十郎はなんとも言えない表情でを視界から追いやる。 はまた不思議そうに小首を傾げるだけで、そのままふたつを小十郎の膳に置き、薬を広げてから湯飲みに急須の水をとくとくと注いだ。 瞬間ぞくりと肌が粟立つ。 臼桃色の爪先、白魚のような細い指、袖口から覗くまろやかな腕。 そして黒髪に見え隠れする薄く透けるような頼りない喉。 刹那、小十郎はを抱きたいと思った。 鮮烈なまでに、この女が欲しいと内側の獣が吠えたて牙を剥く。 小十郎は、この女とも子供ともつかない美しいひとをこの腕で汚したいと切望した。 あの甘そうな唇を奪い、着物に隠された胸を暴き、形が変わる程の力で揉みしだいてやりたい。 雪原の様な肌を舌で蹂躙し、誰も知らぬだろう茂みを犯してやりたい。 は泣くだろうか? きっと泣くだろう。男なぞ知らないだろうその肢体をなぶり、快楽を教え込んでやりたい。 その狭いだろう股を裂き、猛る雄を打ち込めばはきっと泣いてしまうだろう。 はどんな風に泣くのだろう。 やめてと悲痛に懇願するだろうか、はたまたもっとと淫らに強請るだろうか。 痛みに打ち震える体も、厭らしく乱れる体も、どちらにしたって艶かしい。小十郎の欲望を煽るには十二分過ぎる。しかしそれ以上の官能を持って堕としてやりたい。 厭らしく杭を打ち、その細い腰が壊れるほどに激しく抱きたい。 それこそ自分なしでは生きられないほどに。 果てしない支配欲が小十郎の中で芽吹いて育つ。 喉を枯らし、涙を流し、妖艶に濡れて、淫らに腰を振るまで執拗に淫靡に乱してやりたい。 熱い吐息と共に精を放てば、の体はどんな風に震えるだろう。無秩序に白い肌を汚す白濁に、恍惚としたの表情を想像してしまえば一度弱まった筈の熱が再び疼いた。 小十郎は耐え難い官能に拳を震わせ、熱の籠る瞳でを見詰める。 「片倉様、そんな目をされては・・・困ります」 恥じらうように頬を染めたなのだが、次の瞬間には驚く程の早業で小十郎の口に苦い粉薬を放り込む。そのまま有無を言わさず湯飲みを押し付け、さっさと水を流し込んだ。 何度体験しても慣れる事の出来ない薬の苦味に、小十郎はうう、と呻きながら盛大に表情をしかめる。 今にも逆流しそうな喉に気づいてか、の小さな手のひらが小十郎の唇に重ねられた。砂糖菓子のような柔らかな肌からは、粉末の苦い香りばかりが漂った。 「良薬口に苦しです。片倉様」 悪戯を成功させた幼子のようにはくすくすと笑う。 小十郎はなんとか薬を飲み下し、口いっぱい広がる苦味に何度か噎せた。 (てめぇ・・・覚悟しておけよ) 形容し難い薬の苦味に、萎えた下半身を持て余しながら小十郎は若干の涙目で音になり損ねた声でそう呻く。 しかし読唇術を得ないは、のほほんと笑いながら次の薬を差し出すばかりであった。 もういちどいきかえる
title by リービッヒ彗星 |